江戸前期 武蔵国江戸
赤銅地容彫江戸松沢家(大正四年本阿弥琳雅)‐杉山茂丸‐赤星鉄馬‐青木鉄太郎
池田末松著『奈良三作』所載
我が国の草創神話を題に得た利壽の目貫である。このような作品に出会うと、まず我が国土の成り立ちに思いが広がる。思想や宗教、政治的な諸問題は棚の上に置いておこう。遺跡や遺物はもちろん、『古事記』や『日本書紀』などの記録などを、偏ることのない昔語りといった見方をすれば、科学的に未知と言わざるを得ない古代人の自然観などを感じ取ることができる。
伝承の節々に、神が生み出されるに至った背景にある自然への恐れ。海に囲まれている環境など、我が国土の特質が示されていることが理解できよう。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)による国生み神話は、その本質を示しているのである。
この目貫に描かれているのは、天津神より国土を創造すべく命を受けた伊弉諾尊と伊弉冉尊両神の姿。剣を背負っている伊弉諾尊は、左手を天に向け、右手を腹にし、伊弉冉尊は両手を腹部で組んでいる。両神に大海の波が寄せ、空には雲が湧いている様子を彫り描き、天地の境界を未だ定めていないことを表現している。
この後、両神は天浮橋に至り、天津神より与えられた天沼矛(あまのぬぼこ)を用いて混沌の海を掻き混ぜ、滴り落ちた泥土で淤能碁呂島(おのころしま)を造り出した。この淤能碁呂島に降り立った両神は、初めて男女の違いを認識することとなり、天御柱(あまのみはしら)を廻って万物諸神を生み出すのである。最も重要なのが大八島(おおやしま)と呼ばれる、淡道之穂之狭別島(あわじのほのさわけのしま)(淡路島)、伊予之二名島(いよのふたなのしま)(四国)、隠伎之三子島(おきのみつごのしま)(隠岐島)、筑紫島(つくしのしま)(九州)、伊伎島(いきのしま)(壱岐島)、津島(つしま)(対馬)、佐度島(さどのしま)(佐渡島)、大倭豊秋津島(おおやまととよあきつしま)(本州)の我が国土。次いで天照大神、月読命、建速須佐之男命といった、天の動きと大地や気象に関わる諸神を生み、人間世界との関りを明確にしていくのである。
赤銅地をわずかに歪んだ丸形に造り込み、その周囲に刻みを設け、上部には雲を、下には波を彫り描き、微細な魚子を打ち施した中央に二神を厳かな姿に彫り表わしている。色金を用いない赤銅地黒一色の素材もまた厳かであり、両神の存在を尊いものとしている。殊に円周状に打たれた魚子地の様子は神々しい光背のようにも、あるいは日輪をも想わせ、神威を明確に表現している。両神の姿は極めて小さな空間ながら精密で、彫口も鋭く立体感に富み、顔つきと目の表情もわずかに違えている点は巧みである。
江戸時代にはこの場面が多くの絵師によって絵画表現されている(写真例)。本作は、大画面に細筆を用いて細部まで描き表したそれら絵画とは異なる黒一色の赤銅のみからなる高彫で、しかも一寸に満たない空域に立体表現するという技術的な側面も、魅力の大きな要因となっている。
さて、江戸時代における思想的な面では、この目貫の作者利壽が活躍していた時代にはまだ『古事記伝』を著した本居宣長は登場しておらず、同時代の思想家を挙げるとすれば『古史通』の新井白石ぐらいであろう。新井白石は、天照大神は男神であるといったような中世的な考え方をしており、この目貫が表現している世界観との距離については興味深いところである。
伊弉諾尊と伊弉冉尊の二神を彫り描いた装剣小道具は、類例が極めて少なく貴重である。制作の時代背景から利壽がこれら近世の思想から影響を受けていないことは明らか。むしろ古典的な自然観に近い認識でこの二神を捉えていたと考えられ、江戸時代に大きく進化した神学とは少々離れて鑑賞すべき作品ともいえるであろう。
江戸の松沢家に伝来したこの目貫は、本阿弥琳雅氏が大正三、四年頃に譲り受けて其日庵杉山茂丸翁に納めたものだが、杉山翁が赤星鉄馬氏に自慢したところ懇望されて贈ることとなり、さらに後の昭和初期に青木鉄太郎氏の所有となったもの。小道具に通じた阿弥屋惣右衛門がこれを買い受けたことを記した便箋が遺されており、箱書には「神品」と記されている。
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