脇差  銘 伯耆守平朝臣正幸 / 寛政二年戌二月

Wakizashi: Signed. Hoki no kami Taira no ason MASAYOSHI / Kansei 2 nen Inu 2 gatsu

薩摩国 寛政二 五十八歳

刃長 一尺八寸四分四厘
反り 四分
元幅 一寸九厘
先幅 八分
重ね 二分三厘
彫刻 表裏 棒樋掻き流し

金着二重ハバキ 白鞘入

昭和三十八年鹿児島県登録

特別保存
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Satsuma province
Kansei 2 (1790, late Edp period)
Work at his 58 years old

Hacho (Edge length) : 55.9cm
Sori (Curvatire) : Approx. 1.21cm
Moto-haba (Width at Ha-machi) : Approx. 3.3cm
Saki-haba (Width at Kissaki) : Approx. 2.42cm
Kasane (Thickness) : Approx. 0.7cm
Engraving : "Bo-hi" kaki-nagashi on the both sides

Gold foil double Habaki
Wooden case (Shirasaya)

Tokubetsu-Hozon
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 江戸後期の薩摩を代表する伯耆守正幸(ほうきのかみまさよし)は、享保十八年薩摩の生まれ。祖父十左衛門正良が会得した丸田正房(注①)流の薩摩相州伝に磨きを掛け、奥元平と双璧をなした。長寿老成の刀工で、『日本刀銘鑑』にみえる初作は宝暦十四年三十二歳の時であり、また、伯耆守を受領して正幸と改めたのも還暦目前の五十七歳であった。その後も気力と技量は衰えず、文化十四年八十五歳作(注②)を物にしている。
 この脇差は受領改銘直後の五十八歳作(注③)。身幅が広く鋒が延びた力強い姿で、両区(まち)深く、表裏に棒樋が深々と掻かれてなお手持ちがずしりと重い。板目鍛えの地鉄は粒立った地沸が厚く付いて煌めき、硬軟異なる鉄を合わせ鍛えた故であろう、処々に筋状の肌が現れて正幸の特色が顕著。互の目乱の刃文は尖りごころの刃を交えて自然な高低を成し、帽子は焼深く鋒の半分を占め、乱れ込んで掃き掛け、横に展開して殆ど焼詰めとなる。沸の強く深い焼刃は、焼頭の一部が千切れて飛焼状に奔放華麗に変化し、刃縁に厚く付いた沸の粒子は降り積もった雪を想わせ、やや荒めに付く辺りは正宗の雪の叢消えの如し。分厚い沸と刃中に立ち込めた匂を切り裂くように長く鋭くかかった金線は冬の稲妻。正幸らしく薄手の茎には細かな勝手上がり鑢が掛けられ、鎬筋が剣形の茎先の僅かに棟側へ抜けるのも正幸の特徴。正宗十哲の志津兼氏を念頭に精鍛されたとみられ、出来優れた一振となっている。

注①…正幸は早くに父を喪った惣兵衛正房を弟子として育てており、正幸と正房家との関係の深さがわかる(『新刀銘集録』巻五)。
注②…「文化十四年八月八十五歳造」の添銘のある、脇差(『銀座情報』四百十四号)がある。
注③…「本平正良」と添銘のある、寛政二年戌二月の刀がある(『銀座情報』百六十五号掲載)。