武蔵国 文久
二十九歳作 百六十一年前
刃長 八寸二分八厘
元幅 九分二厘
重ね 二分九厘
金着二重ハバキ 白鞘付
朱漆塗二分刻鞘合口短刀拵入
拵全長 一尺三寸強
柄長 三寸一分
平成三十年東京都登録
特別保存刀剣鑑定書
九十万円(消費税込)
Musashi province
Bunkyu 3(A.D.1863, late Edo period)
161 years ago, Work at his 29 years old
Ha-cho (Edge length) 25.1cm
Moto-haba (width at Ha-machi) approx. 2.78cm
Kasane (thickness) approx. 0.88cm
Gold foil double Habaki
Wooden case (Shirasaya)
Shu urushi nuri 2bu kizami saya,
aikuchi tanto koshirae
Whole length approx. 69.7cm
Hilt length approx. 9.4cm
Tokubetsu-Hozon certificate by NBTHK
Price 900,000 JPY
長運斎是俊は天保六年二月十三日に長運斎綱俊の子として江戸麻布で生まれ、名を加藤助一郎という。米沢藩工の父より基本の技を学んだ後、更なる研鑽を積まんと、弱冠十三歳にして周防の青龍軒盛俊に入門した。帰国後は父を援け、安政三年春に長運斎の号を継承して長運斎是俊と名乗り、文久三年十二月五日には父を黄泉に見送って綱俊二代となった。
この短刀は、身幅が広く両区深く、しかも研数が経ておらずに僅かに生ぶ刃が残る、重ねが極めて厚いままの健体を保つ一口。備中青江の縮緬肌を想起させる地鉄は小杢目肌が密に詰み澄み、地景が網目状に入り、粒立った地沸が厚く付いて肌立ち、潤い感と冴えは格別。直刃の刃文は小沸が付いて刃縁が締まり、刃中は匂が立ち込めて澄み冴える。帽子はやや突き上げて小丸に長めに返り、これも青江帽子を彷彿とさせる。丁寧に仕立てられた茎は錆が浅く、銘の底が白く輝いて鮮明。高位の武士の需(注)で精鍛された作で、出来が頗る優れている。
附帯する拵は朱漆塗鞘に二分刻が施され、柄は上品な朱色の織物で包まれ、家紋図目貫を付して茶色糸で平巻とされている。「長壽斎」と刻された共小柄は、文久三年十二月五日麻布上杉藩邸で没した父綱俊が我が子是俊の為に精作した最後の小品であろう。
注…文久三年二月には六千石の旗本で前の外国奉行齋藤三理(かずみち)の需で精鍛した父子合作の刀がある(『日向の刀と鐔』)。本作も高位高禄の武士の特注であり、父子最後の合作と言えよう。