太刀
生ぶ茎無銘 伝二王

Tachi
no sign (Ubu-nakago) den NIOH

周防国 南北朝時代後期
約六百四十年前

刃長 二尺七寸八分八厘
反り 八分六厘
元幅 一寸二厘
先幅 六分三厘
棟重ね 二分二厘強
金色絵一重ハバキ(注①) 白鞘付

黒蝋色塗鞘合口拵
 拵全長 三尺八寸五分
  柄長 九寸二分

平成十年東京都登録

特別保存刀剣鑑定書(伝二王) 

Suo province
Late Nanboku-cho period
About 640 years ago

Ha-cho (Edge length) 84.5cm
Sori (Curvature) approx. 2.61cm
Moto-haba (width at Ha-machi) approx. 3.09cm
Saki-haba (width at Kissaki) approx. 1.91cm
Kasane (thickness) approx. 0.67cm
Gold plating single Habaki
Wooden case (Shirasaya)

Kuro roiro nuri saya, aikuchi koshirae
 Whole length: approx. 116.7cm
 Hilt length: approx. 27.9cm

Tokubetsu-Hozon certificate by NBTHK
(den Nioh)

 周防国に活動の拠点をおいた二王派は清綱を初代として栄え、清綱各代の他、清平、清久、清景、清長など清を冠する主流刀工の他、室町時代に入って正、政、勝などの字を冠した刀工があり、その末は江戸時代末期に及んでいる。二王の呼称は、仁王堂が火災に遭った際、仁王像を繋いであった鉄鎖を清綱の太刀で断ち斬って救い出したことによると伝え(注②)、鉄鎖をも断ち斬る刀の性能と頑強さが、伝承と共に武士の信頼を得ることとなったのである。
 南北朝時代後期のこの太刀は、造り込みが鎌倉時代の姿に戻る頃の作とみられ、寸法が長く腰反り深く踏ん張りが付き、元幅に比較して先幅が狭まり、中鋒延びごころに前時代の面影をわずかに残している。杢目を交えた板目鍛えの地鉄は、総体にねっとりと詰むも、肌目に沿った繊細な地景によって所々に肌起つ風合いがあり、区上焼出し映りと鎬寄りに乱れごころの映りが起ち、全面に付いた細かな地沸と所々の澄肌が複合し合って気の流れを想わせる景色が生じている。刃文は区上の長い焼き込みを伴う直刃の構成ながら、浅い湾れと小互の目が交じっていかにも古調。刃境には肌目に伴うほつれ、細い金線、稲妻、喰い違い、打ちのけが、刃中には小足が盛んに入って大和色の強い働きの焼刃となっている。帽子は横手辺りから沸筋が強まり、浅く湾れ込んで焼詰めとなる。
 上杉謙信好みの、鐔のない合口様式の黒蝋色鞘に古風な小柄笄を備えとした、革巻き柄の打刀拵に収められている。

注①…上蓋金着下蓋銀地の二重ハバキが誂えられている。

注②…『日本刀大百科事典』参照。