備前国
南北朝後期嘉慶頃 約六百三十五年前
刃長 一尺六寸一分二厘
反り 四分二厘
元幅 一寸一分一厘
棟重ね 九厘
鎬重ね 二分五厘
金着二重ハバキ 白鞘入
『名刀図鑑』『刀鍛冶考』所載
昭和二十六年栃木県登録
重要刀剣
Bizen province
Kakyo era
(A.D.1387-1389, late Nanboku-cho period)
About 635 years ago
Ha-cho (Edge length) 48.8cm
Sori (Curvature) approx. 1.27cm
Moto-haba (width at Ha-machi) approx. 3.36cm
Kasane (thickness) approx. 0.76cm
Gold foil double Habaki
Wooden case (Shirasaya)
Published in "Meito zukan"
and "Katana kaji ko"
"Juyo" by NBTHK
足利義満が山名氏清を討ったのが明徳の乱。その顛末を記した『明徳記』には、薙刀が使用された描写がある。例えば四条大宮で山名の大軍を迎えた大内義弘は、家臣に「地上に降りて盾を並べよ、突破を図る武士は馬諸共切れ」と命じ、自身も三尺余りの薙刀を手に「薙では薙ふせ、落る武者をばくびをとり」獅子奮迅の活躍をしている。このように南北朝期の薙刀の多くは実戦で重宝され消耗し、完全な状態で遺されているものは少ない。奇跡的に伝来した薙刀も、江戸期に磨上げて刀や脇差とされることがあり、それら薙刀直しからも、薙刀が活用された実情を窺い知る事ができる。
表題の脇差こそ薙刀直しの典型。南北朝期の武将が打ち振るった三尺を超す刃長の大薙刀を大磨上としたもので、「備州長舩光景」の銘が額銘とされている。今尚、身幅広く先が張り、ふくら枯れごころとなって姿形は鋭利。平肉がたっぷりとし、鎬地の肉が削ぎ落され、鎬筋が強く張って反りも深い威圧感のある造り込み。地鉄は板目肌に太い地景が入って肌目が強く起ち、小粒の地沸と粒が大きめの銀砂のような地沸が付き、指で押したような地斑(じふ)が鮮明に現れ、淡く湯走りが掛かって霞立ち、黒と白の織り成す景色は玄妙。刃文は互の目に小丁子が複雑に組み合わされ、片落ち風の刃を交えて僅かに逆がかり、小沸が付いて刃縁締まりごころに明るく、刃境に湯走り、地中に飛焼が掛かり、匂で澄んだ刃中には金筋が躍動し、小足、葉が入る。帽子は浅く乱れ込み、表は焼き詰めごころに浅く返り、裏はやや突き上げて小丸、長めに返る。銘は長、光、景の横画が右から左に刻されて逆鑚が顕著。躍動する武将の覇気と光景の意気込みを伝える稀有の名品である。
注… 光景は従来小反派や大宮派とされていたが、逆鑚と景の通名から、景秀‐近景‐義景‐光景の系譜が提唱されている(小笠原信夫先生「備前大宮鍛冶の系譜に関する問題」『刀鍛冶考』)。また藤代松雄先生は『名刀図鑑』で本作について「義景と同様の作風をみせ優れた作」と述べて絶賛されている。