脇差
朱銘 包清 寒山(花押)
Wakizashi
[Shumei] KANEKIYO KANZAN(Kao)

大和国 応永頃 約六百三十年前

刃長 一尺三分五厘
元幅 九分二厘
重ね 二分五厘強
彫刻 表 腰樋掻流し・添樋 裏 腰樋角止
金着一重ハバキ 白鞘付

佐藤寒山博士鞘書

黒蝋色塗鞘合口拵入
 拵全長 一尺六寸二分
 柄長 四寸三分

平成十六年栃木県登録

特別保存刀剣鑑定書(包清 手掻 応永頃)

Yamato province
Oei era(A.D.1394-1427, early Muromachi period
About 630 years ago

Hacho(Edge length) 31.3cm
Moto-haba(Width at ha-machi) approx. 2.79cm
Kasane (Thickness) approx. 0.76cm
Engraving:"Koshi-hi" kaki-nagashi with "Soe-hi"
on the right face(Omote)
"Koshi-hi" kaku-dome on the back face(Ura)

Gold foil single Habaki
Calligraphy on the Shirasaya,written by
Dr. Sato Kanzan

Kuro roiro nuri saya,aikuchi koshirae
Whole length approx. 49.1cm
Hilt length approx. 13cm

Tokubetsu-Hozon by NBTHK
(Kanekiyo, Tegai school, Oei era)

 包清の工銘は、鎌倉時代後期に東大寺輾害門の門前に栄えた初代手掻包永の子に始まり、南北朝前期の応安頃、応永頃と続き、末は戦国時代末期に及んでいる。包永門下では最も技量の高い鍛冶の一人で、殊に本作については、佐藤寒山博士も茎に朱銘を施すのみならず、鞘書に健全なる典型作と記している(注)。
  太刀の添え差しとすべく常に備えられ、あるいは屋内での守りとされたものであろう、身幅広く反りを控えた真の棟の寸延び短刀姿とされた本作は、研ぎ減り少なく重ねが厚く、重量感が掌に伝わりくる。頑強な仕立ては茎だけでなく、物打辺りもたっぷりとしており、表裏異なる施樋は一時代遡る風情がある。板目鍛えの地鉄は流れ肌を交えて良く詰み、全面を覆う細かな地沸を分けるように肌目に沿った地景が蠢き、焼出し映りから淡い暗帯部を伴う細やかな乱映りも働き掛かり、殊に濃淡変化に富んだ映りが棟寄りに現れる。刃文はごく浅く湾れた細直刃で、帽子はふくら辺りで浅く乱れ、先が掃き掛けてごくわずかに返る。匂口が締まって鮮やかな焼刃は、刃境に小沸が付いて一際明るく輝き、細く太くほつれが掛かり、区上と物打辺りで大きく喰い違って二重刃となり、処々の細い金線、ほつれ、打ちのけも活発である。
  附されている拵は、総体を黒漆で仕上げ、角所のみ茶の漆を施して色合いの妙をみせ、黒鮫皮に出目貫とされた這龍図目貫と、銀を割り込んで渋い色調を示す這龍図小柄笄二所の金色を活かした造りとされている。

注…「大和國手掻包清生無銘應永之頃 地刃健全亦典型作也珍重珍重」と鞘書されている。