美濃国 永禄 四百五十四年前
刃長 二尺六寸八分二厘
反り 八分
元幅 一寸九厘
先幅 七分四厘
棟重ね 二分強
鎬重ね 二分三厘
金着二重ハバキ 白鞘入
『室町期美濃刀工の研究』所載
昭和二十六年秋田県登録
特別保存刀剣鑑定書
百八十万円(消費税込)
Mino province
Eiroku 13(A.D.1570, late Muromachi period
454 years ago
Hacho(Edge length) 81.3cm
Sori(Curvature)approx.2.42cm
Moto-haba(Width at ha-machi) approx.3.3cm
Saki-haba(Width at Kissaki) approx.2.24cm
Kasane (Thickness) approx.0.7cm
Gold foil double Habaki / Shirasaya
Published in
"Muromachi-ki Mino toko no
kenkyu"
Tokubetsu-Hozon by NBTHK
Price 1,800,000 JPY
戦国時代に備前国と並んで刀剣の大生産地であった美濃国の、往時の生ぶの姿を留める刀の現存品は極めて少ない。その理由は、美濃刀の斬れ味に対し、武門の信頼が篤いあまり、打ち続く戦乱の中で使用頻度が増大したため、その大半が消費されてしまったものと考えられる。現存する完品の殆どが短刀や小脇差であるのはその為である。
掲載の刀は製作時の身幅と重ねを保ち、さらに長寸を保って姿良く、地刃に破綻も緩みもない堂々たる作。生ぶの茎穴は上が打刀拵、下方は太刀拵に収める際に用いられた名残りであり、徒歩(かち)戦が主の永禄年間の戦闘様式から、頑丈なる体躯の、名のある武将の指料であった事が想像される。板目鍛えの地鉄は所々に流れ肌を交えて詰み、地沸が付いて関映りが起ち、いかにも柔軟性の感じられる肌合い。刃文は互の目の焼頭が尖りごころとなった美濃物の乱刃の典型で、地蔵風の帽子は激しく乱れ込み先が掃き掛けて返る。匂口の締まった焼刃は一段と明るく、刃縁のほつれは刃中の金線を伴う砂流しに変じて激しく流れ掛かり、刃先は透明感のある匂で澄み冴える。古書によれば、兼辰(かねとき)は父と共に越後上杉家に抱えられ、春日山(現上越市春日)にても打つと伝えられている。この刀は永禄十二年、塩止めの経済封鎖を受けて危機に瀕していた宿敵甲斐の武田信玄に上杉謙信が越後の塩を贈ったとされる翌年(注)の作で、越後打とはこの頃の作であろうか。関物の真価を充分に堪能させられる現存貴珍の一振である。
注…元亀元年に改元された。六月、姉川の戦いがあり、信長・家康連合軍が浅井・朝倉勢を破った