平造脇差
銘 相模守政常入道(初代)
Hira-zukuri wakizashi
Sagami no kami MASATSUNE nyudo
(The founder)

尾張国 慶長 約四百十五年前

刃長 一尺一寸六分一厘
反り僅少
元幅 一寸三厘
重ね 一分八厘
彫刻 表 素剣・梵字 裏 腰樋掻流し・添樋
金着二重ハバキ 白鞘入

佐藤寒山博士鞘書「貞宗寫傑作之一也」

昭和二十六年東京都登録

重要刀剣
三百五十万円(消費税込)

Owari province
Keicho era(A.D.1596-1614, early Edo period)
About 415 years ago

Hacho(Edge length) 35.2cm
A little curvature
Moto-haba(Width at ha-machi) approx. 3.12cm
Kasane (Thickness) approx. 0.55cm
Engraving:
 "Suken""Bonji" on the right face(Omote)
 "Koshi-hi"kaki-nagashi with "Soe-hi" on the back face(Ura)

Gold foil double Habaki
Calligraphy on the Shirasaya, written by Dr.Sato Kanzan

Juyo by NBTHK
Price 3,500,000 JPY

 相模守政常初代は長寿の刀工(注①)であった。美濃と尾張で作刀し、信長、秀吉、家康など戦国の英傑の栄枯盛衰を見届けている。出は美濃の名門兼常家。永禄十年三十二歳で尾張小牧村に独立し、信長に仕えて清洲城下に鍛冶場を定め、天正十九年に秀吉の甥関白豊臣秀次の推挙で相模守を受領し、兼常から政常に銘を改めた。関ケ原合戦後は、戦功で清洲城に入った家康四男松平忠吉に仕え、慶長十二年の忠吉没後に引退している。だが、継嗣の二代が二年後に急逝したことにより、政常は隠居を翻して再起せざるをえなくなった。慶長十五年には尾張藩主徳川義直(家康九男)膝下の名古屋に移り、大道家より迎えた養子を指導しつつ、主家のため作刀に励んだのであった。
 この脇差は、入道銘時代の円熟の技が示された出色の一口。棟を真に仕立て、身幅広く反りを控えた、政常初代らしい力強く伸びやかな造り込み。彫刻は不動明王を暗示する素剣と梵字、裏に腰樋と添樋が刻されて荘厳な趣がある。地鉄は板目に杢、棟寄りに流れる柾を配して肌起ち、太い地景が入り、地沸が厚く付いて沸映りが立つ。刃文は箱がかった刃に片落(かたおち)風の刃、尖りごころの刃を交え、刃縁の沸が昂然と輝き、細かな金線と砂流しが掛かり、沸匂が充満した刃中は水色に澄む。焼深い帽子は乱れ込んで浅く返る。刃縁の沸の一部が凝って雪の叢消えの如き景色となる、相州正宗や貞宗を範に精鍛された傑作となっている(注②)。

注①…家康没後二年の元和五年死去。享年八十四。

注②…本作は重要刀剣等の説明図譜で「同作中出色の一口」と絶賛されている。