短刀
銘 備州長舩法光
永正七年八月日
(業物)
Tanto
Bishu Osafune NORIMITSU
Eisho 7 nen 8 gatsujitsu
(Wazamono)

備前国 永正 五百十四年前

刃長 六寸二分七厘
内反り
元幅 六分一厘
重ね 二分
赤銅金色絵一重ハバキ 白鞘入

茶笛巻塗鞘合口短刀拵入
 拵全長 一尺二寸四分
 柄長 四寸

昭和三十二年岩手県登録

特別保存刀剣鑑定書

Bizen province
Eisho 7(A.D.1510, late Muromachi period
514 years ago

Hacho(Edge length) 19cm
Curved inward
Moto-haba(Width at Ha-machi)approx.1.85cm
Kasane (Thickness) approx. 0.61cm

Shakudo single Habaki with gold plating
Shirasaya

Cha fuemaki nuri saya,aikuchi tanto koshirae
 Whole length approx.37.6cm
 Hilt length approx.12.1cm

Tokubetsu-Hozon by NBTHK

 長船法光の名跡は南北朝時代応安頃から室町初期に続いているが、俗名のわかる法光は文明頃の次郎右衛門、永正頃の新左衛門尉と四郎左衛門尉である。だが多くは備州銘で、俗名入りの作は極めて少ない。藤代義雄氏も『日本刀工辞典』の永正法光の項で「註文打でも俗名の入つたものが少ない」と述べている。法光には、鍛造に高度な技術を要する両刃造短刀(勝光や祐定が得意とした)や、享禄二年八月吉日紀のある出来の優れた薙刀(『銀座情報』三百二十号)もあり、優れた刀工であったことがわかる。
 この短刀も、備州銘が細鑚で丁寧に刻された(注)永正法光の入念作。元来の重ねが厚く、内反りが付いてふくらの枯れた、鋭利で操作性に優れた鎧通し。地鉄は小板目に杢、流れごころの肌を交えて詰み、地沸が微塵に付き、刃寄りに澄んだ暗帯部が現れ、平地には沸の粒子が輝き、直調の映りと共に温潤味のある美しい肌合いとなっている。直刃の刃文は、淡雪のような沸が降り積もって刃縁きっぱりとして明るく、打ちのけ風に湯走りが掛かり、沸付いて刃色の冴えた刃中に金線と砂流しが繊細に掛かる。乱れ込んだ帽子は突き上げて返り、棟区まで焼き下げる。棟焼の匂口も焼刃同様に明るい。高位の武将の注文で精鍛された一口であろう、出来が優れている。 色合いを異にする茶漆によって笛巻塗とされた、洒落た意匠の合口拵が付されている。

注…藤代氏は上身の出来の良さと「神妙で粗暴さが微塵も感じられない」銘字から注文打とわかるという。本作の銘字は『日本刀工辞典』が示した、俗名がない永正十年紀の備前國銘と酷似している。