脇差
銘 荘司筑前大掾大慶直胤
文政十二年仲春(花押)
Wakizashi
Shoji Chikuzen daijo Taikei NAOTANE
Bunsei 12 nen chushun[Kao]

武蔵国 文政 五十一歳作 百九十五年前

刃長 一尺六寸五分
反り 二分七厘
元幅 九分三厘半
先幅 六分二厘
棟重ね 二分三厘
鎬重ね 二分二厘半
彫刻 表裏 棒樋掻通し
金着二重ハバキ 白鞘入

『水心子正秀とその一門』所載
附日本春霞刀剣会鑑定書「上々作二位」

昭和二十六年東京都登録

特別保存刀剣鑑定書

Musashi province
Bunsei 12(A.D.1829, late Edo period
195 years ago, Work at his 51 years old

Hacho(Edge length) 50cm
Sori(Curvature)approx.0.82cm
Moto-haba(Width at Ha-machi)approx.2.83cm
Saki-haba(Width at Kissaki) approx. 1.88cm
Kasane (Thickness) approx. 0.7cm
Engraving:"Bo-hi" kaki-toshi on the both sides

Gold foil double Habaki / Shirasaya

Published in
 ”Suishinshi Masahide to sono ichimon”
"Jojosaku the 2nd prize"
 by Nihon shunka token kai

Tokubetsu-Hozon by NBTHK

 水心子正秀の提唱する復古刀論を実践した大慶直胤は、地鉄造りと姿形はもちろん、戦闘を想定した截断能力と防御力を極め、武家の高い評価と信頼を得、備前伝、相州伝、大和伝と作域も広く人気も高く、覇気に富んだ多くの名品を遺している。生まれは安永八年。正秀から作刀を学んで寛政末頃に独立し、師の推挙で山形藩主秋元家に仕え、文政五年に筑前大掾を受領、後に美濃介に転じている。
 この脇差は、師正秀より受け継ぎ、最も得意とした備前古作写し。大小揃いの小とされたものであろう、脇差ながら腰反り深く踏ん張りのある上品な小太刀の姿格好。重ねが厚く手持ち頑丈な感があるも、深い棒樋を掻き通して重量を調整するとともに、刃先を鋭く仕立てて刃の抜けを考慮しており、形状だけではなく操作性が追求された造り込み。地鉄は小板目鍛えに板目肌が加わって細やかに肌立つ風があり、淡い飛焼が映りのように地を彩る。刃文は匂口に柔らか味のある小互の目丁子。互の目の頭は多彩に変化し、匂足が盛んに入って刃中明るく、淡い沸筋と金線が区上辺りに働く。帽子は乱れ込んで掃き掛けを伴い浅く返る。化粧鑢の施された茎は錆色未だ浅く、茎全面に銘文が鑚強く刻されている。