短刀
銘 播磨守金高
Tanto
Harima no kami KANETAKA

美濃国 寛永頃 約三百九十年前

刃長 八寸一分
元幅 七分八厘
重ね 一分九厘半
彫刻 表裏 腰樋丸止
金着二重ハバキ 白鞘付

印籠刻黒石目地塗鞘合口拵入
拵全長 一尺五寸八分
柄長 四寸二分

平成十五年兵庫県登録

保存刀剣鑑定書

Mino province
Kan'ei era(A.D.1624-1643, early Edo period
About 390 years ago

Hacho(Edge length) 24.6cm
Moto-haba(Width at Ha-machi approx. 2.36cm
Kasane (Thickness) approx. 0.6cm
Engraving:"Bo-hi" maru-dome on the both sides

Gold foil single Habaki / Shirasaya

Inro kizami kuro ishimeji nuri saya,
aikuchi koshirae
Whole length approx.47.9cm
Hilt length approx.12.7cm

Hozon by NBTHK

 戦国時代に隆盛を誇った美濃鍛冶の作刀技術の優秀さは、高い切れ味によって推し量ることができ、また、多くの美濃刀工が各地に移住して技術を伝達し、さらには江戸時代の刀工の多くが美濃の作風を基礎に置いているという事実によっても証されている。美濃本国に居地を定めて鍛冶場を移すことなく作刀に邁進したのが金高で、戦国時代末期から江戸時代初期寛永頃までの、いわゆる桃山文化の隆盛によって豪快な刀や脇差が製作された時代を主活躍期としている。
 この短刀も、鎌倉時代末期の作を手本として身幅や重ねを尋常に仕立てたもので、先端の棟を削いで刺突と切削の効用を高めた実戦的な造り込み。寸法を扱い易い八寸ほどに仕立て、腰樋を掻いている。地鉄は柾目状に肌の流れた板目肌を基調に微塵に詰んだ小板目肌が組み合わされ、地沸が付き、関映りが鮮明に立って凄みがある。匂口の締まった直刃の刃文はわずかに湾れ、刃縁に小沸が付いてわずかにほつれ掛かり、帽子は鋭利な鋒に沿って先尖りごころに返る。  咄嗟の場合の抜き差しを考慮した拵は龍図金具で誂えた腰刀の様式、刃長に比して大振りに仕立てられている。

注…播磨守金高には、元幅一寸二分、先幅一寸を超える大鋒の豪刀がある(『銀座情報』二二四号)。