肥前国 慶長十八年頃 約四百十年前
刃長 一尺一分三厘
反り 九厘
元幅 九分七厘
重ね 一分八厘
彫刻 表 真倶利迦羅 裏 護摩箸・蓮台
金着二重ハバキ 白鞘入
平成十六年東京都登録
特別保存刀剣鑑定書
Hizen province
Around Keicho 18(A.D.1613, early Edo period
About 410 years ago
Hacho(Edge length) 30.7cm
Sori(Curvature)approx.0.27cm
Moto-haba(Width at ha-machi)approx.2.94cm
Kasane (Thickness) approx. 0.55cm
Engraving:
"Shin no Kurikara"on the right face(Omote)
"Gomabashi"on the back face(Ura)
Gold foil double Habaki / Shirasaya
Tokubetsu-Hozon by NBTHK
五字忠吉こと肥前國忠吉初代は戦国最盛期元亀三年の生まれ。九州竜造寺氏の家臣であった祖父と父が戦火で他界したため、忠吉は親類の鍛冶屋に身を寄せて修業したという。業成って後、肥前藩祖鍋島勝茂侯に見出され、その命で慶長元年に上京し、埋忠明壽の許で更なる修業に励んだ。帰国した忠吉は佐賀城下長瀬町に屋敷を拝領し、鍋島侯の命で来國俊、手掻包永、志津兼氏、備前長義、伊勢村正等の古名刀を範に覇気ある作を手掛けたのであった。
この平造脇差は、伊勢村正を念頭に精鍛されたとみられ、身幅を広く仕立てて反りと重ねを控え、ふくらをやや枯らした鋭利な姿。小板目鍛えの地鉄は地景が密に入り、小粒の地沸が厚く付き、細かに肌起って弾力味を感じさせる地相。浅い湾れに互の目を交えた刃文は表裏揃い気味となり、純白の小沸が付いて刃縁明るく、刃境に沸筋が掛かり、沸付いて明るい刃中には足と葉が入る。帽子は乱れ込んで小丸に返る。忠吉と共に埋忠門で修業した宗長の手になる彫刻は、表が不動明王を象徴する剣に龍が巻き付いた図で、砥石が当たって一部が摩滅するも龍の発する霊気は健在で迫力があり、裏の護摩箸に蓮台の彫も鮮やか。中程が張って先が微かに括れた村正の鱮腹形茎を想わせる茎に、鑚太く刻された銘字は未だ鑚枕が立つ。慶長十八年頃(注)の、心技体充実の作で、忠吉の優技が遺憾なく発揮された傑作である。
注…やや縦長の國の字の第二画がしゃくり上げたような形となる特徴から(『肥前刀大鑑忠吉篇』)。