武蔵国 文久 二十三歳作 百六十年前
刃長 二尺五寸六分七厘
反り 四分六厘
元幅 一寸一分六厘
先幅 九分九厘
棟重ね 九分九厘
鎬重ね 二分六厘
金着二重ハバキ 白鞘付
金梨子地塗家紋蒔絵鞘糸巻太刀拵入
拵全長 三尺七寸六分
柄長 九寸四分
平成十二年東京都登録
特別保存刀剣鑑定書(三代)
三百五十万円(消費税込)
Musashi province
Bunkyu 4(A.D.1864, late Edo period)
160 years ago
Hacho(Edge length) 77.8cm
Sori(Width at Ha-machi)approx.1.39cm
Moto-haba(Width at Kissaki)approx.3.51cm
Saki-haba(Width at Kissaki) approx. 3cm
Kasane (Thickness) approx. 0.79cm
Gold foil double Habaki / Shirasaya
Kin nashiji nuri "Kamon" makie saya,
Itomaki tachi koshirae
Whole length approx.114cm
Hilt length approx.28.5cm
Tokubetsu-Hozon by NBTHK
(The 3rd generation)
3,500,000 JPY
水心子正日出(正秀)三代が打ち上げた剛刀。水心子正秀初代は出羽山形の小村から江戸へ出、大坂新刀の助廣や真改、更には鎌倉期の名刀を目標に研究を重ねて作刀し、直胤や正義を育てた。嫡子正秀二代は早世したが、その子正次が直胤に師事して大成している。この正次の薫陶を受けた娘婿勇吉郎秀勝が正秀三代目を襲名したのであった。『旧館林藩士族禄高職氏名調』に「十石 刀鍛冶 川邊勇吉郎」とあり、正秀、直胤、直勝、正次などと同じく館林藩秋元侯に仕えた事がわかる。
南北朝期の大太刀を手本としたこの刀は、勇吉郎正秀二十三歳(注)の作。棟を真に仕立て、元先の身幅がたっぷりとして鎬筋が立ち、大きく延びた鋒から茎先まで三尺五寸を超える堂々の姿。小板目鍛えの地鉄は地景が密に入って細かに肌起ち、小粒の地沸が厚く付いて晴れやかな鉄色を呈する。刃文は互の目に丁子、片落風の刃、尖りごころの刃を交え、刃中には足が長く射し、金線と砂流しが掛かって眩く輝き、処々飛焼が焼かれ、金線と砂流しを伴って激しく乱れ込んだ帽子は突き上げて返り、鎬地の飛焼と同調する。兼光や長義に代表される相伝備前を念頭にした作であろう、華やかで活気のある一刀となっている。水心子正秀初代に酷似した銘字も鮮明である。
金梨子地塗鞘糸巻太刀拵には、畏れ多くも丸に菊葉紋が金蒔絵されており、名家伝来の一刀であったことを物語っている。
注…『水心子正秀とその一門』によれば生年は天保十三年である。