美濃国‐尾張国 天正頃 約四百五十年前
刃長 一尺三寸三分六厘
反り 一分九厘強
元幅 九分四厘
棟重ね 一分三厘
鎬重ね 一分八厘
下蓋銀着上蓋金着二重ハバキ 白鞘付
黒蝋色塗鞘合口脇差拵入
拵全長 二尺
柄長 四寸八分
平成十四年兵庫県登録
特別保存刀剣鑑定書
(相模守政常初銘)
八十五万円(消費税込)
Mino - Owari province
Tensho era
(A.D.1573-1591, Momoyama period)
about 450 years ago
Ha-cho (Edge length) 40.5cm
Sori (Curvature) approx. 0.58cm
Moto-haba (width at Ha-machi) approx. 2.85cm
Kasane (thickness) approx. 0.55cm
Silver and gold foil double Habaki
Wooden case (Shirasaya)
Kuro roiro nuri saya, aikuchi wakizashi koshirae
Whole length approx. 60.6cm
Hilt length approx. 14.5cm
Tokubetsu-Hozon certificate by NBTHK
(The first name of Sagami no kami Masatsune)
Price 850,000 JPY
江戸初期の尾張の名工相模守政常は初銘を兼常と切る。『家系(注①)』によれば、政常は納土助右衛門兼常の次男佐助で、永禄十年三十二歳の時に尾張小牧村に独立。後に織田信長の命で清洲城下に移住し、堅固な刀や槍、薙刀を手掛けて武士の信頼を得た。天正十九年に関白豊臣秀次の推挙で相模守を受領して政常と改銘。慶長八年には、関ヶ原の戦功で清洲城主となった松平忠吉(家康四男)に仕えた。慶長十二年に隠居したが、二年後に再び鎚をとり、尾張藩に仕えて名古屋城下に鍛冶場を設け、尾張新刀の礎となった。
表題の脇差は、相模守政常の改銘前、兼常銘時代の作。重ねと反りを控えて鎬筋が棟に抜けた鋭利な姿は菖蒲の葉を想わせ、短い茎も戦国武将が素早く抜いて用いる実戦的構造で、これを太刀に添えて備えた。板目鍛えの地鉄は刃寄りに柾を交え、肌目に沿って地景が入り、小粒の地沸が厚く 付いた精良な肌合い。直刃の刃文は微かな小互の目を交え、刃縁明るくきっぱりと締まり、刃 境に打ちのけ風の湯走りが掛かり、ほつれ、喰い違いを交え、刃中には小足と葉が盛んに入り、細かな砂流しが掛かるなど小模様ながら多彩な働きをみせる。帽子は横に展開して焼詰め風となって長めに返る。鑚強く太く刻された小振りの二字銘は「兼常作一 相模守政常入道(注②)」の槍の兼常の銘 に、「常」の銘字も相模守政常の「常」に酷似し、政常初銘との見解は頷ける。出来の良さは勿論、資料的価値も高い一口である。
獅子図金具で装われた拵が付されている。
注①…『美濃刀大鑑』。
注②…藤代義雄氏は『日本刀工辞典』で「兼常と同人の政常と云ふ意味であらう」と述べている。