銘 氏信岩捲(業物)
Katana
Ganmaku UJINOBU
(Wazamono)

美濃国 慶長頃 約四百二十年前
刃長 二尺三寸四分
反り 四分六厘
元幅 一寸七厘
先幅 八分一厘
棟重ね 一分八厘
鎬重ね 二分三厘
彫刻 表裏 棒樋掻流し
金着二重ハバキ 白鞘付

黒皺革塗包鞘打刀拵入
 拵全長 三尺四寸五分
 柄長 八寸六分

平成二年東京都登録

拵 保存刀装鑑定書
刀 特別保存刀剣鑑定書

Mino province
Keicho era(A.D.1596-1614, early Edo period)
About 420 years ago

Ha-cho (Edge length) 70.9cm
Sori (Curvature) approx. 1.39cm
Moto-haba (width at Ha-machi) approx. 3.24cm
Saki-haba (width at Kissaki) approx. 2.45cm
Kasane (thickness) approx. 2.45cm
Engraving:"Bo-hi" kaki-nagashi
Gold foil double Habaki
Wooden case (Shirasaya)

Kuro shibogawa nuri tsutsumi saya, uchigatana koshriae
 Whole length:approx.104.5cm
 Hilt length:approx.26cm

Tokubetsu-Hozon certificate by NBTHK(Sword)
Hozon certificate by NBTHK(Koshirae)

 鎌倉期の寿命の後裔と伝える岩捲(がんまく)は、大永頃の氏信を初代として寿命の鍛刀地に近い大野郡志麻郷清水村(注①)に居住し、濃州清水住岩捲氏信と刻銘した。岩捲氏信には天文の二代、清水城主で豪傑として名高い稲葉一鉄に仕えた元亀の三代がおり、さらに慶長、寛文と続き、天和頃には尾張でも打ち、刃味優れていたためであろう「石切」と号した氏信、元禄の氏宣と続いた。『太閤素生記(注②)』によれば、秀吉を信長の草履取りに紹介した一人に岩捲という者がいたと記されており、その者はおそらく刀鍛冶岩捲の一族であろう。
 表題の氏信岩捲の刀は、作柄から慶長五年紀のある氏信の作とみられ、身幅あくまで広く、重量を軽減して操刀を俊敏ならしめるために棒樋を掻き、截断に利便なるよう平肉を削いで刃先を鋭く仕立て、鋒を延ばした精悍な姿形。小杢を交えた小板目鍛えの地鉄は錬れて地沸が豊かに付き、物打辺りに関映りが乱れ起って刃味の良さを窺わせる。刃文は匂口締まりごころの中直刃で、帽子は浅く弛んで焼を深く残した小丸返り。刃境に小足が頻繁に働き、刃中に葉を浮かべて澄むと共に、地側にも淡い湯走りと小足状の働きが窺え、殊に物打辺りは複雑な景色となる。舟底状に量感のある茎に刻された明瞭な四字銘が、上身の出来を保証している。
 十字透図鐔、鬼瓦図目貫で装われた、黒皺革塗鞘の剛毅な雰囲気の打刀拵が附帯している。

注①…現在の岐阜県揖斐郡揖斐川町清水。

注②…土屋知貞著。寛永年間成立(『日本刀大百科事典』参照)。