肥後国 慶応頃 約百五十五年前
刃長 七寸一分六厘
内反り僅少
元幅 七分六厘
重ね 二分六厘半
金着一重ハバキ 白鞘入
昭和五十一年熊本県登録
保存刀剣鑑定書(肥後 慶応頃)
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Higo province
Keio era(A.D.11865-1867, late Edo period)
About 155 years ago
Ha-cho (Edge length) 21.7cm
Slightly curved inward
Moto-haba (width at Ha-machi) approx. 2.3cm
Kasane (thickness) approx. 0.8cm
Gold foil single Habaki
Wooden case (Shirasaya)
Hozon certificate by NBTHK
(Higo province, Keio era)
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宣利(のぶとし)は江戸後期の文政九年に熊本で生まれた。祖先は来國行の孫で肥後に来住した延壽國村という。熊本藩では、武士で作刀に励んだ沼田有宗や、その門人の同田貫上野介十代孫宗廣が、水心子正秀の復古刀理論に触発されて古作を範に打つ等、盛んに鍛刀が行われていた。宣利の父宣勝は一念発起して出府し、正秀門の名手細川正義に師事している。宣利は父より継承した細川流の技術を駆使し、熊本藩士の為に鎚を振るった。
この短刀は、細川正義やその子正守の冠落造(注)の優品をみるような一口。棟重ねが厚く中程から先の鎬地の肉が削がれてふくら枯れ、屹然と立った鎬地の線、棟の線、研ぎ澄まされた刃先の線が揃って美しい姿格好。地鉄は板目肌が詰み、晴れやかな鉄色を呈す。小丁子乱の刃文は桜の花弁を想わせ、淡雪のような小沸で刃縁が明るく、左右に開くように匂足が入り、金線が微かに掛かり、刃中も透明。帽子は乱れ込んで長めに返る。茎の筋違鑢も細川正義のそれを想起させる。復古刀理論の伝播の実情を伝え、短躯の中に正義伝の卓越した技術が凝縮された作となっている。
注…南北朝時代の肥後延寿鍛冶が製作した菊池槍の穂先を想わせる、刺突の効用が高められた造り込み。