脇差
銘 奥大和守平朝臣元平
寛政六寅秋
Wakizashi
Oku Yamato no kami Taira no ason MOTOHIRA
Kansei 6 Tora aki

備前国 天正 四百四十三年前
刃長 二尺一寸三分六厘
反り 五分
元幅 一寸三厘
先幅 七分三厘
棟重ね 二分三厘
鎬重ね 二分四厘
金着二重ハバキ 白鞘入

昭和二十七年和歌山県登録

特別保存刀剣鑑定書

Satsuma province
Kansei era(A.D.1789-1800, late Edo period)
About 229 years ago

Ha-cho (Edge length) 53cm
Sori (Curvature) approx. 1.36cm
Moto-haba (width at Ha-machi) approx. 3.21cm
Saki-haba (width at Kissaki) approx. 2.51cm
Kasane (thickness) approx. 0.73cm
Gold foil double Habaki
Wooden case (Shirasaya)

Tokubetsu-Hozon certificate by NBTHK

 奥元平は江戸後期の薩摩を代表する刀工。奥家は南朝の臣谷山氏に遡る武士で、江戸前期の奥忠清が刀工となり、その孫元貞が丸田正房に就いて相州伝を修めた。元平は元貞の孫。元平の名声が喧伝された契機は、家督継承直後の安永六丁酉八月日の刀が鎌田魚妙著『新刀辨疑』に載せられたことによる。深く魅了された鎌田魚妙は「勝れたる上手也 此人錵を次として匂を要とせば當時海内の達人なるべし」と絶賛している。その後も篤実に精進し、奥大和守(注①)元平の声望は全国に広まったのであった。
 この脇差は心技体が充実した寛政六年(注②)五十一歳の作。元先の身幅が広く重ね厚く、中庸に反って中鋒が延び、刀に匹敵する重さがある。広く取られた平地は小板目肌が深く錬れて詰み、筋状、杢状の太い地景が入り、小粒の地沸が均一に付いて潤い、殊に鉄色が明るく冴える。浅い湾れに互の目を交えた刃文は焼高く、銀の砂のような沸で刃縁の光が強く、太い地景と連動する金線が筋状、杢状に掛かって層をなし、殊に物打付近の金筋は猛り狂ったかのように暴れて覇気横溢。焼の深い帽子は強く沸付き、幾筋もの金筋を伴って激しく乱れ込み、焼き詰める。相州正宗と同じ剣形の茎の先端に見覚えの鑚が残されている。元平の特色が顕著でしかも出来頗る優れた一振となっている。

注① …大和守受領は寛政元年十二月一日。

注②…同年山本正誼造士館教授、肥後盛政、町田久視ら有力藩士の刀を打つ(『薩摩の刀と鐔』)。