銘 武州住照重作
唐澤作之佐打之
(業物)
Katana
Bushu ju TERUSHIGE saku
Karasawa Sakunosuke utsu kore
(Wazamono)

武蔵国 天正頃 約四百五十年前

刃長 二尺四寸五分六厘
反り 八分九厘
元幅 一寸一分六厘
先幅 八分六厘
重ね 二分四厘
彫刻 表裏 梵字陰刻
金着二重ハバキ 白鞘入

『新古名刀図譜』所載
『所持銘のある末古刀』所載

佐藤寒山博士鞘書「…出来見事也」

昭和三十九年大阪府登録

重要刀剣

Musashi province
Tensho era(A.D.1573-1591, Momoyama period)
About 450 years ago

Hacho(Edge length) 74.4cm
Sori(Curvature) approx. 2.7cm
Moto-haba(Width at ha-machi) approx. 3.51cm
Saki-haba(Width at Kissaki) approx. 2.6cm
Kasane (Thickness) approx. 0.73cm
Engraving: "Bonji" on the both sides

Gold foil double Habaki
Calligraphy on the Shirasaya
written by Dr.Sato Kanzan
"Excellent"

Published in "Shin Ko meito zufu"
"Shojimei no aru Sue-koto"

Juyo

 武蔵国多摩郡横河郷(注①)の住人照(てる)重(しげ)は、北条氏康の二男滝山城主陸奥守氏照より照の一字を賜り、永禄二年頃(注②)より初銘の周重を照重に切り改めている。 「唐澤作之佐打之」の所持銘のあるこの刀は、氏照による天正十三年の八王子城築城以前、天正年間前期(注③)の作刀と鑑せられ、身幅が極めて広く反り深く、中鋒の延びた堂々の造り込み。板目に杢目を多く配した地鉄は、如輪杢(じょりんもく)となって刃中にも円形の杢肌が現れ、地沸が厚く付いて鍛着は緻密。下半湾れに小丁子が交じり、上半は大きく深く乱れた互の目となって矢(や)筈(はず)刃が入り乱れ、刃中には足が長く入って砂流(すなが)しが絡み、刃縁明るく沸付いて地刃躍動し、同工同派中の冠刀として過言なき傑作(注④)。注文主の唐澤(からさわ)作之佐(さくのすけ)の唐澤は、上州吾妻郡(注⑤)の地衆に多く、吾妻郡東村の唐澤縫殿介幸周は天正三年北条氏直から加勢依頼の書状を受けており、またその北方の高山村の中山城は、天正年間には北条氏の配下となり、唐澤半右衛門が中山十八人衆の一人として北条方で活躍している。作之佐もこの地方の出身であり、北条氏の要請を受けて滝山城下に馳せ参じた武将の一人であったと思われ、この刀を手にしての、往時の奮迅の戦い振りが想起される。

注①…康重の下恩方から離れたこの地に北条家から屋敷除地を与えられている。現八王子市横川町下原。

注②…後藤安孝先生説。

注③…八王子城築城以降は多く武州下原住と切っている。

注④…重要刀剣図譜にも「…室町末期の打刀を代表する一本であり、同派及び同工作中の白眉である…」とある。

注⑤…群馬県北部の、現中之条町・長野原町・東吾妻町・嬬恋村等の一帯。