加賀国 慶長頃 約四百十年前
刃長 二尺三寸九分二厘
反り 五分二厘
元幅 九分九厘
先幅 六分八厘
重ね 二分
金着二重ハバキ 白鞘入
内山忠守(注①)鞘書「直江兼俊 代金百五拾枚」
昭和三十六年愛知県登録
保存刀剣鑑定書(甚六兼若)
Kaga province
Keicho era(A.D.1596-1614, early Edo period)
About 410 years ago
Ha-cho (Edge length) 72.5cm
Sori (Curvature) approx. 1.58cm
Moto-haba (width at Ha-machi) approx. 3cm
Saki-haba (width at Kissaki) approx. 2.06cm
Kasane (thickness) approx. 0.61cm
Gold foil double Habaki
Wooden case (Shirasaya)
Calligraphy on the shirasaya, written by Uchida Tadamori, who was disciple of Honami Choshiki
"Naoe Kanetoshi, price: 150 coins"
Hozon certificate by NBTHK
(Jinroku Kanewaka)
甚六兼若、即ち加州新刀の開拓者兼若初代と極められた、磨り上げ無銘の刀。元来は二尺八寸程の長さがあったとみられ、反り高く控えめの重ねとされ、中鋒がやや延びた、南北朝期の大太刀を想わせる姿。板目鍛えの地鉄は強く柾がかって肌起ち、鉄色には微かに黒味があり、輝きの強い粒立った地沸が厚く付く。浅い湾れに互の目と尖りごころの刃を交えた刃文は、刃境に湯走りが流れ、沸付いて明るい刃中には沸足が太く入り、これを遮るように金線と砂流しが激しく掛かって焼刃の景色が奔放に変化する。帽子は焼深く、浅く乱れ込んで小丸に返る。
この刀の姿と地刃から、明治二十四年に、本阿弥長識門人の内山忠守研師が南北朝中期貞治頃の直江兼俊(兼氏の子又は弟子)と鑑定し、鞘書を認めている。今日の鑑定では瑞々しい地刃と箱がかった刃を捉えて兼若初代としている。兼若初代には本国美濃打とみられる慶長九年紀、慶長十六年三月紀、慶長十七年十月廿六日紀の重美の刀があり、作風は志津三郎兼氏を想わせる覇気横溢の乱刃。直江志津兼俊か、加州兼若初代か。いずれにせよ古風で力強く、貫禄充分の雄刀である(注②)。
注①…本阿弥長識門人。
注②…差裏の茎先端の一寸半付近に鷹ノ羽鑢があり、兼若初代より時代の上がる鞘書通り直江物の可能性もある。