下野国 嘉永 三十七歳作 百七十一年前
刃長 二尺八寸七分一厘
反り 七分
元幅 一寸一厘
先幅 六分九厘
重ね 二分七厘
金着二重ハバキ 白鞘入
昭和二十六年茨城県登録
特別保存刀剣鑑定書
Shimotsuke province
Kaei 5(A.D.1852, late Edp period)
171 years ago / Work at his 37 years old
Ha-cho (Edge length) 87cm
Sori (Curvature) approx. 2.12cm
Moto-haba (width at Ha-machi) approx. 3.06cm
Saki-haba (width at Kissaki) approx. 2.03cm
Kasane (thickness) approx. 0.82cm
Gold foil double Habaki
Wooden case (Shirasaya)
Tokubetsu-Hozon certificate by NBTHK
細川義規は細川民之助正平の子で名を剛之助といい、文化十一年の生まれ。大慶直胤と共に水心子正秀門の双璧を成した細川正義の甥。天保十七年に父に就いて修業を開始し、同八年宇都宮藩工となる。折しも尊攘派の志士の疾駆した幕末、義規も水戸藩の勤王派に共鳴し、「赤心報國」「尽忠報國」と切銘した作を打つ(注)。遺作には鍛えの良い地鉄に備前伝丁子乱刃、端正な直刃を焼いた刀があり、森岡朝尊著『新刀銘集録』巻九でも「太刀姿反髙ク古備前之風有。地鉄ノキタイ細ニ丁子乱ヲ焼匂ヒ深ク上手ナリ」と高く評価されている。
この太刀は、長寸刀を得意とした同作中でも特に大きく二尺八寸を超え、身幅尋常に重ね厚く腰反り高く付いて先が伏し、鋒が延びた雄渾な姿。板目鍛えの地鉄は刃寄りに柾を配して靭性が感じられ、肌に沿って地景が現れて細かに肌立ち、小粒の地沸が厚く付いて晴れやか。直刃の刃文は微かな互の目と小湾れを交えて浅く揺れ、刃境に淡い湯走りが掛かり、無数に入った小足が連なって変化に富んだ二重刃となる。帽子は表裏共浅く弛み、佩裏は二重刃となり小丸に返る。焼刃は小沸が付いて明るく、匂が充満して透明に澄んだ刃中には細かな金線と砂流しが長く掛かり、物打辺りには金筋が躍動、下半の平地には淡く飛焼が施されて地も一様ならざる景色となっている。細かな筋違鑢で丁寧に仕立てられた茎も長く、控え目釘が穿たれ、注文主である玉木氏の信仰に応えて精鍛した旨が入念に刻されている。義規の優技がよく示された堂々の大作である。
注…『佐倉ゆかりの刀剣展 刀匠・細川一門の流れ』に詳しい。