脇差
銘 大和守安定
金象嵌截断銘 寛文元年閏八月八日大袈裟片手打截断
山野加右衛門六十四歳切之永久(花押)(大業物)

Wakizashi
Yamato no kami YASUSADA
[kin zogan setsudan mei] Kanbun gannen uruu 8 gatsu 8 nichi
Okesa katate uchi setsudan, Yamano Kaemon 64 sai kore wo kiru Nagahisa[Kao](O Wazamono)

武蔵国 寛文初年頃 約三百六十年前

刃長 一尺六寸四分半
反り 三分三厘
元幅 一寸七厘強
先幅 八分一厘強
重ね 二分三厘
金着二重ハバキ 白鞘付

黒漆塗手綱刻鞘突兵拵入
 拵全長 二尺四寸
 柄長 五寸四分強

昭和三十七年神奈川県登録

特別保存刀剣鑑定書
特別保存刀装具鑑定書
四百万円(消費税込)

Musashi province
early Kanbun era(A.D.1660s, early Edo period)
About 360 years ago

Ha-cho (Edge length) 49.9cm
Sori (Curvature) approx. 1cm
Moto-haba (width at Ha-machi) approx. 3.24cm
Saki-haba (width at Kissaki) approx. 2.45cm
Kasane (thickness) approx. 0.7cm
Gold foil double Habaki
Wooden case (Shirasaya)

Kuro urushi nuri tazuna kizami saya,
toppei koshirae
 Whole length: approx. 72.7cm
 Hilt length: approx. 16.4cm

Tokubetsu-Hozon certificate by NBTHK
(Sword and Koshirae)
Price 4,000,000 JPY

 大和守安定は元和四年紀伊国の産で、名を富田宗兵衛という。紀州石堂派の技術を修め、正保二年二月四日に大和大掾を受領した(注①)。その後、慶安元年頃に江戸へ出、長曽祢虎徹の師と伝える和泉守兼重に就いて刃味が抜群に優れた沸出来の互の目乱刃を完成した。因みに虎徹は少し後輩に当たり、安定から強い影響を受けたと云われる(注②)。
 この脇差は、寛文元年四十四歳頃の、典型的かつ特に出来の優れた一振。元先の身幅が広く量感があり、鎬筋が張って中鋒の精悍な姿。地鉄は小板目肌が詰み澄み、細かな地景が肌目を縫うように入って緻密に肌起ち、小粒の地沸が厚く付いて瑞々しく潤う。焼の高い互の目乱刃は角がかった刃、矢筈風の刃、尖りごころの刃を交え、銀砂のような沸で刃縁も明るく、金線と砂流しが僅かに掛かり、沸足が太く入り、刃中の沸が昂然と輝いて冴え、片手で袈裟切とした山野加右衛門の金象嵌銘(注③)を見るまでもなく鮮烈な切れ味は明らか。帽子は沸付き、浅く乱れ込んで小丸に返る。
 極上の突兵拵(とっぺいごしらえ)が附されている。「福自天来」の文字に蝙蝠の目出度い図の鐔は、後藤一乗一門の杉岡一拳(すぎおかいっけん)の在銘作。銀無垢の縁頭鐺揃金具は菊竹梅蘭の四君子図。漆黒の鯨髭巻柄には下り藤紋の金目貫が映え、金魚子地秋草図小柄も雰囲気がよく、雪華文形目釘金具も瀟洒。所持者の遺愛の程を伝えている。

注①…陽明文庫『禁裡番衆所之記』参照。

注②…小笠原信夫先生『長曽祢乕徹新考』参照。

注③…山野加右衛門永久の寛文元年閏八月九日貮ツ胴截断の金象嵌銘入りの一尺七寸九分八厘の脇差が第二十四回重要刀剣指定。