金粉銘 延壽國時
光遜(花押)(大業物)

Katana
kinpun mei: Enju KUNITOKI
Koson[Kao]
(O Wazamono)


肥後国 南北朝初期元弘頃 約六百九十年前

刃長 二尺三寸七厘
反り 七分五厘
元幅 九分五厘半
先幅 六分七厘
棟重ね 二分強
鎬重ね 二分二厘
彫刻 表 棒樋掻流し・樋中梵字陰刻
   裏 棒樋掻通し・樋中梵字陰刻

金着二重ハバキ 白鞘入

本阿弥光遜鞘書「代金子弐百五拾枚」

昭和三十年静岡県登録

特別保存刀剣鑑定書
(金粉銘延壽國時)

百八十万円(消費税込)

Higo province
Genko era
(A.D.1331-1334, early Nanboku-cho period)
About 690 years ago

Hacho (Edge length) 69.9㎝
Sori (Curvature) approx.2.27㎝
Moto-haba (Width at Ha-machi) approx.2.89㎝
Saki-haba (Width at Kissaki) approx. 2.03cm
Kasane (Thickenss) approx. 0.67㎝
Engraving:"Bonji" in the "Bo-hi" kaki-nagashi
on the right face (Omote)
"Bonji" in the "Bo-hi" kaki-toshi
on the back face(Ura)

Gold foil double Habaki

Calligraphy on the Shirasaya,
written by Master Honami Koson
"Dai Kinsu 250 mai"

TOkubetsu-hozon certificate by NBTHK
(Kinpun mei: Enju Kunitoki)

Price 1,800,000 JPY

 一寸五分の磨り上げとされた、元来は二尺四寸五分ほどの操作性に優れた太刀。鎌倉末期から南北朝時代にかけて肥後国に栄えた延壽國時と極められ、本阿弥光遜師によって金粉銘が施されている。延壽派は、鎌倉後期に肥後菊池に移住した山城来派の國村に始まり、菊池氏の庇護を得、國資、國吉、國泰など技量の高い多くの鍛冶によって騒乱の時代の需要に応えている。中でも延壽派を代表する上工として知られたのが、國村の子とも弟子とも伝える國時であった。國時には比較的作品が多く遺されており(注)、信頼度の高さが窺える。
 この刀は、磨り上げられてはいるものの鳥居反りが深く付いた山城伝の上品な姿。三ツ棟に仕立てられて元先の身幅は広め、やや延びごころの中鋒とされ、表が掻流し、裏が掻通しの深い棒樋によって重量が調整されてバランスが良い。特筆すべきは樋中に陰刻された梵字と腰元の蓮台で、その布置の確かさと彫口の鋭さ、安定感のみならず、樋から垣間見ることのできる素材そのものの美しさが際立つ彫物となっている。小杢と板目を交えた小板目鍛えの地鉄は緻密に詰み、網目状の細やかな地景が入り組んで活力に満ち、さらに全面に白気映りが起ち込めて九州物特有の肌合いとなる。刃文は端正な直刃で、帽子は先端が丸みを帯びてわずかに返る大丸風の仕立て。刃中に余分な動きを求めず、実戦を想定して粘り気を求めたものであろう、匂口が潤みごころに凄味が感じられる。彫刻が失われないよう樋中に梵字を施しているように、信心深い武将の持ち物であったことが想像される。茎の金粉銘は剥落し易く、惜しまれるところである。

注…三振りの重要文化財、三振りの重要美術品がある。

刀 金粉銘 延壽國時 光遜(花押)(大業物)刀 金粉銘 延壽國時 光遜(花押)(大業物)刀 金粉銘 延壽國時 光遜(花押) 白鞘 本阿弥光遜鞘書「代金子弐百五拾枚」

 

刀 金粉銘 延壽國時 光遜(花押) 差表切先刀 金粉銘 延壽國時 光遜(花押) 差表中央刀 金粉銘 延壽國時 光遜(花押) 差表ハバキ上

刀 金粉銘 延壽國時 光遜(花押) 差裏切先刀 金粉銘 延壽國時 光遜(花押) 差裏中央刀 金粉銘 延壽國時 光遜(花押) 差裏ハバキ上


刀 金粉銘 延壽國時 光遜(花押)ハバキ

國時 押形