脇差
銘 越前守助廣
寛文七年二月日(大業物)
Wakizashi
Echizen no kami SUKEHIRO
Kanbun 7 nen 2 gatsujitsu
(O Wazamono)

摂津国 寛文  三十一歳 三百五十七年前
刃長 一尺六寸六分六厘
反り 三分五厘
元幅 一寸三厘
先幅 七分二厘強
棟重ね 二分三厘
鎬重ね 二分四厘半
金着二重ハバキ 白鞘入

『日本刀の近代的研究』所載
本間薫山博士鞘書

昭和二十六年長野県登録

特別保存刀剣鑑定書

Settsu province
Kanbun 7 (A.D.1667, early Edo period)
About 357 years ago, Work at his 31 years old

Ha-cho (Edge length) 50.5cm
Sori (Curvature) approx. 1.06cm
Moto-haba (width at Ha-machi) approx. 3.12cm
Saki-haba (width at Kissaki) approx. 2.18cm
Kasane (thickness) approx. 0.74cm
Gold foil double Habaki
Calligraphy on the Wooden case (Shirasaya),
written by Dr.Honma Kunzan

Published in "Nihonto no kindaiteki kenkyu"

Tokubetsu-Hozon certificate by NBTHK

 越前守助廣は寛永十四年摂津打出村の生まれ。幼い頃から鍛冶修業を積み、早くも十七歳にして師初代助廣の代作に携わっている。師の引退後は二代目を襲銘し、万治元年に越前守を受領、寛文七年に大坂城代を勤めた青山因幡守に抱えられ、以降、同じ大坂の井上真改と切磋琢磨して神域に到達。独創的な濤瀾乱刃で知られるも、刃文の美観に強く影響を及ぼす美しく整った地鉄鍛えを以て大坂新刀の横綱と尊称されている。
 登城の際に備える大小の小とされたこの脇差は、適度な中間反りが付き、身幅広めに重ねもしっかりとし、中鋒に造り込まれて姿のバランスが殊に良い。極上質の素材を選んで鍛えたものであろう小杢目鍛えの地鉄は均質に詰み澄み、鎬地の柾目も肌起つ風がなく穏やかにして清浄、全面に細かな地沸が湧き起ち、地底に淡い地景が潜んで地沸の景色に活力を与えている。直刃の刃文はごく浅く湾れ、所々沸筋の流れ掛かる風情を伴って二重刃風に働き、帽子も淡い沸筋を伴って先小丸に返る。小沸の深々とした焼刃は、明るい匂を伴って一段と冴え、刃境から刃先へと広がる沸の中に濃淡変化に富んだ景色を備えている。今日まで大切に伝えられてきたもので、茎の錆味も均質に色合い黒く、謹直な鑚使いの銘字が健やかに刻されている。

注… 同門の近江守助直、越後守包貞、新々刀初期の尾崎助隆、江戸の水心子正秀など、後の刀工に多大な影響を与えた。鎌田魚妙が新刀第一と称賛している。