刃長 二尺二寸八分六厘(69.3cm)
反り 八分九厘
元幅 一寸七厘 先幅 七分七厘
棟重ね 二分二厘 鎬重ね 二分三厘
彫刻 表 真倶利迦羅 裏 梵字・護摩箸・蓮台
龍泉貞次(りゅうせんさだつぐ)刀匠は明治三十五年、愛媛県新居浜郡西条大町村の生まれ。月山雲龍子貞一に師事して松山市に独立し、戦後も作刀を続け、昭和三十年に刀匠初の国重要無形文化財保持者に認定された。
表題の刀は村上源司の注文打。源司は明治三十二年愛媛県越智郡関前村(今治市)の産。五歳で父と死別し、祖父源蔵に育てられた。源蔵は波止浜(はしはま)ので建造した船で小大下島(こおげしま)採掘所産の石灰を原料とする肥料を各地に売却、また、北海道の鮭を買い付けるという大商いを展開して富を得た。源司も旧制中学卒業後(注①)は祖父を援け、後に家を継いだ(注③)。
昭和三十五年十一月二十日付の村上源司宛の高橋貞次師の書簡によれば、人間国宝とは言え刀鍛冶の生活は清貧であった。材料は高価で、品質重視の鍛刀で大小合わせても年間七、八振が限度と吐露されている。村上源司の鍛刀依頼は、伝統文化継承に奮闘する郷里の名匠の心意気に感動し、支援する意図があったとも考えられる(注②)。
鎌倉期の一文字の太刀を念頭に精鍛されたこの刀は、身幅が広く反りが高く、中鋒の力感ある造り込み。小杢目鍛えの地鉄は緻密に肌起ち、地沸が微塵に付いて鉄色が冴える。丁子乱の刃文は刃縁の淡雪のような沸と刃中の匂で刃色も冴える。帽子は乱れ込み小丸に返る。貞次刀匠の刀身彫は、月山貞一とその子貞勝譲りの鑚が冴え、龍の鱗が立って眼に生気が漲り、梵字、護摩箸、蓮台も彫際が鋭く見事。銘字は謹直(注④)。志高く生きた高橋貞次刀匠と村上源司の思いが形となった雄刀で、昭和という時代の熱情を今に伝えている。
注①…広島県立忠海中学校。池田勇人首相は同級生。
注②…愛媛県も貞次師の刀を買い上げ支援している。
注③…採掘所閉鎖後、真水が湧出。村は村上家の屋号に因み「カネ源湧水」と命名し記念碑を立てた。
注④…刃区下に三角の隠鑚が強く打ち込まれている。
銀座名刀ギャラリー館蔵品鑑賞ガイドは、小社が運営するギャラリーの収蔵品の中から毎月一点を選んでご紹介するコーナーです。
ここに掲出の作品は、ご希望により銀座情報ご愛読者の皆様方には直接手にとってご覧いただけます。ご希望の方はお気軽に鑑賞をお申し込み下さいませ。