短刀
生ぶ茎無銘 水戸祐光

Tanto
no sign (Ubu-nakago) Mito SUKEMITSU

常陸国 文久頃 約百六十年前
刃長 八寸五分一厘
反り 一分三厘
元幅 八分二厘
重ね 二分二厘
彫刻 表裏 腰樋・細樋
金着一重ハバキ 白鞘入

腰刻黒漆塗印籠刻青貝微塵塗鞘合口短刀拵入
 拵全長 一尺三寸四分
 柄長 三分三厘

平成二十年新潟県登録

保存刀剣鑑定書(水戸祐光)

Hitachi province
Bunkyu era(A.D.1861-1863, late Edo period)
About 160 years ago

Ha-cho (Edge length) 25.8cm
Sori (Curvature) approx. 0.39cm
Moto-haba (width at Ha-machi) approx. 2.48cm
Kasane (thickness) approx. 0.67cm
Engraving: "Koshi-hi" with "Soe-hi" on the both sides
Gold foil single Habaki
Wooden case (Shirasaya)

Koshi kizami kuro urushi Inro kizami, aogai mijin nuri saya,
aikuchi tanto koshirae
 Whole length: approx. 40.6cm
 Hilt length: approx. 10cm

Tokubetsu-Hozon certificate by NBTHK
(Mito Sukemitsu)

 江戸後期の水戸藩工横山祐光の作と極められた生ぶ茎無銘の短刀。文政三年江戸青山に生まれた祐光は諸国を巡って鍛冶修業し、嘉永二年に水戸を訪れている。その際に勝村徳勝と知り合い、その推挙で水戸斉昭に召し抱えられた。水戸藩といえば尊王攘夷の急先鋒。祐光もその熱情に心動かされたものであろう、元治元年に横浜閉港を求めた天狗党の挙兵に参加している。
 この短刀は、身幅尋常で重ねが厚く、腰樋の上の鎬地の肉が削ぎ落された鵜の首造で、鋒が大きく延びてふくらがやや枯れ、鎬筋が屹然と立つ鋭利な姿。源清麿も得意とした長巻刀を連想させ、深い刃区に生ぶ刃が遺されて健全度が高い。小板目肌が詰み澄んだ地鉄は、微細な地沸が付き、肌が密に起って爽やかな風合い。焼が低く抑えられた刃文は浅い湾れに小互の目を交え、刃縁が小沸で明るく、帽子は浅く乱れ込んで焼き詰めとなる。茎は錆浅く保存状態も良好である。
 拵は呑込式の極上の作。印籠刻青貝微塵塗とされた鞘は美しく、腰元の一分刻に黒漆塗が施されてきりりと引き締まる。頭、口金、鐺、裏瓦は波千鳥図朧銀地高彫、小柄と割笄は波千鳥図銀地の揃い。起ち上る波間に戯れる千鳥図は動感があって見事。瀟洒にして上品な趣向とされている。