短刀
銘 金房兵衛尉政次(業物)

Tanto
Kanabo hyoe no jo MASATSUGU

大和国 天正頃 約四百四十年前

刃長 九寸一分二厘
元幅 九分二厘
重ね 二分強
銀地金色絵二重ハバキ 白鞘入

昭和四十六年大阪府登録

特別保存刀剣鑑定書

Yamato province
Tensho era(A.D.1573-1591, Momoyama period)
About 440 years ago

Ha-cho (Edge length) 27.7cm
Moto-haba (width at Ha-machi) approx. 2.79cm
Kasane (thickness) approx. 0.61cm
Gold plating on the silver base double Habaki
Wooden case (Shirasaya)

Tokubetsu-Hozon certificate by NBTHK

 南都子守の住人金房兵衛尉政次には初、二代があり、共に興福寺の支院である宝蔵院で使われる宝蔵院流の十文字槍を鍛えて著名である。また、我が国においては平安時代より豊臣秀吉の天下統一に至るまでの全国の大寺は、僧徒を集め、これに武器を持たせて寺勢の拡大と保護を図っており、金房一派の刀槍の多くもこの時代の興福寺の僧兵の得物とされたものであろうが、政次の頑強な造り込みは戦国武将の好みにも適合し、その腰間に備えられていた。
 表題の短刀は、二代政次の天正頃の作刀と鑑られ、無反りで重ね厚く、両区健全にて鑢目、切銘共に鮮明な完存の一口。杢肌を交えた板目鍛えの地鉄は強い地景によって肌目が明瞭に立ち現れ、鉄と鉄とが錬り合わされた奥深い景色を現出し、細かな地沸が全面に強く湧いて淡く白け映りが立つ。小沸出来の小互の目乱の刃文は、互の目の焼頭が一様にならず湯走りと渦巻くようなほつれが掛かって出入り変化に富み、刃中には逆ごころの小足が射して葉と交じり合い、帽子は強く乱れ込み先突き上げごころに火炎状となる。大切に手入れされ伝えられてきたものであろう、地刃共に頗る付きの健全短刀である。

注①…南都は奈良の古称。今も金房辻の名称が遺されている。

注②…池田恒興が製作させ、加藤嘉明‐雲州松平家に伝えられた、刃長二尺八分強、元幅一寸九厘、重ね二分七厘の、倶利迦羅と不動明王が彫られた『骨喰藤四郎』写しの刀がある。『銀座情報』二五六号。