備前国 文禄 四百二十八年前
刃長 七寸三分強
元幅 七分一厘
重ね 二分八厘
金着二重ハバキ 白鞘付
本阿弥日洲師鞘書
青貝微塵塗鞘合口短刀拵入
拵全長 一尺四寸五分
柄長 三寸六分強
昭和二十八年岡山県登録
特別保存刀剣鑑定書
Bizen province
Bunroku 3(A.D.1593, Momoyama period)
About 428 years ago
Ha-cho (Edge length) 22.1cm
Moto-haba (width at Ha-machi) approx. 2.12cm
Kasane (thickness) approx. 0.85cm
Gold foil double Habaki
Wooden case (Shirasaya)
Calligraphy on the shirasaya, written by Master Honami Nisshu
Aogai mijin nuri saya, aikuchi tanto koshirae
Whole length: approx. 44cm
Hilt length: approx. 10.9cm
Tokubetsu-Hozon certificate by NBTHK
長舩左衛門七郎春光は、遍く知られる右京亮勝光(注①)の曾孫に当たる十郎左衛門春光の子で、活躍期は天正、文禄の頃。この左衛門七郎春光の仕えた備前国主宇喜多秀家は、毛利元就などと渡り合った父直家譲りの将器を備えていたのみならず、能、鷹狩、和歌にも通じた文化人で、春光や祐定など備前刀工の作を刀好きの秀吉に献上している。しかも妻は秀吉の養女豪姫であり、豊臣政権屈指の大大名であった。
この短刀は、秀家が総大将として渡海した文禄の役最中の精鍛作で、重ねが頗る厚くふくらの枯れた戦国武将好みの鎧通し。強靭さを高める目的から強く肌起つ板目鍛えとしている。互の目乱の刃文は柔らかな沸で刃縁が明るく、刃境に湯走り、刃中に金線、砂流しが盛んに掛かり、帽子は浅く乱れ込み、棟を長く焼き下げて刀身の強度が高められ、覇気横溢の様相。茎の保存状態は万全で、「備州之住」から始まる独特の銘字に左衛門七郎の俗名が刻されて貴重(注②)である。
拵は青貝微塵散塗鞘の極上品で、朧銀磨地に雨龍図を金で平象嵌した頭、口金、栗形金具、裏瓦、鐺で装われ、目貫は愛らしい夫婦鳩図。月下帰雁図小柄と水面を切って飛ぶ燕図笄は、会津の松村勝成門で江戸小石川に居住した八辻勝肥(やつじ かつとみ)の季節感豊かな見事な作である。
注①… 応仁の乱で東軍細川勝元方として活躍した赤松政則に、弟左京進宗光と共に仕えた。
注②… 天正十五年八月吉日紀の俗名入りの両刃造短刀(『銀座情報』百四十号)があるが希少である。