太刀
銘 備中國住(以下切)
左兵衛尉直次

Tachi
Bicchu koku ju (ika-kire)
Sahyoe no jo NAOTSUGU


備中国 建武頃 約六百九十年前

刃長 二尺二寸九分五厘
反り 七分五厘
元幅 九分四厘
先幅 六分七厘
棟重ね 一分七厘
鎬重ね 二分一厘
彫刻 表裏 棒樋丸止

金着二重ハバキ 白鞘入

佐藤寒山博士鞘書

平成二十三年東京都登録

重要刀剣(伝直次)

Bicchu province
Kenmu era (A.D.1334-1336, Nanboku-cho period) About 690 years ago

Hacho (Edge length) 69.4㎝
Sori (Curvature) approx.2.27㎝
Moto-haba (Width at Ha-machi) approx.2.85㎝
Saki-haba (Width at Kissaki) approx. 2.03cm
Kasane (Thickenss) approx. 0.64㎝
Engraving: "Bo-hi" maru-dome on the both sides

Gold foil double Habaki
Calligraphy on the Shirasaya,
written by Dr. Sato Kanzan

Juyo by NBTHK
(den Naotsugu)

 磨り上げによって「備中國住」のみが残されている、佐藤寒山博士が鎌倉末期元徳から南北朝初期の青江直次と鑑定して御鞘書された太刀。青江は高梁川下流域の子位荘(こいのしょう)青江郷(注①)。鎌倉初期、この地に居住した貞次や恒次は、高梁川上流域(注②)で産した良鋼を以て名刀を打ち、後鳥羽上皇の御番鍛冶として向鎚を勤めた。直次はその末裔で左兵衛尉を任官した名手。建武の新政後、激闘する武士たちの干戈の音を聞きつつ(注③)飽くまで篤実に作刀し、建武二年十月日紀の「備中国住人左兵衛尉直次作」の太刀(重文)や、大徳川伝来で本阿弥光温極めの「直次磨上之 本阿(花押)」の刀(重美)等の名作を遺している。
 この太刀は身幅重ね充分で、棒樋が掻かれて姿引き締まり、腰反り高く中鋒の、典雅にして美しい造り込み。杢目交じりの板目肌に青江特有の澄肌を微かに交えた地鉄は地景が太く入って肌起ち、生気が漲って晴々とした鉄色は微かに青みを帯びて冴える。中直刃の刃文は僅かに小互の目を交え、小沸が柔らかく付いて匂口締まりごころに明るく、小足、葉が盛んに入り、刃中も澄む。帽子は焼を充分に残し、浅く弛んで突き上げて小丸に返り、青江、別けても左兵衛尉直次の特色が顕著。茎に小振りに刻された「備中國住」の四字銘には衒いがなく好感がもてる。足利尊氏、楠木正成、新田義貞などの英雄が躍動した時代を偲ばせる、愛刀家の夢ともいうべき逸品である。

注①…現倉敷市。青江は倉敷駅に近く、伯備線沿い。

注②…神代郷や野馳郷(岡山県阿哲郡)、新見荘(同県新見市)の良質の鉄は租税として納められた。

注③…後醍醐天皇勢と足利尊氏勢が熾烈な攻防を繰り広げた備中福山城は青江郷のすぐ近くである。

太刀 銘 備中國住(以下切)左兵衛尉直次太刀 銘 備中國住(以下切)左兵衛尉直次

太刀 銘 備中國住(以下切)左兵衛尉直次 白鞘

 

太刀 銘 備中國住(以下切)左兵衛尉直次佩表切先太刀 銘 備中國住(以下切)左兵衛尉直次 佩表中央太刀 銘 備中國住(以下切)左兵衛尉直次 佩表ハバキ上

太刀 銘 備中國住(以下切)左兵衛尉直次 佩裏切先太刀 銘 備中國住(以下切)左兵衛尉直次 佩裏中央太刀 銘 備中國住(以下切)左兵衛尉直次 佩裏ハバキ上


太刀 銘 備中國住(以下切)左兵衛尉直次 ハバキ

重要刀剣指定書 伝直次

直次押形