摂津国 寛政三 三十九歳
刃長 一尺七寸一分
反り 二分三厘
元幅 一寸一分二厘
先幅 九分四厘
棟重ね 二分三厘
鎬重ね 二分一厘
金着二重ハバキ 白鞘入
昭和三十四年三重県登録
特別保存
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Settsu province
Kansei 3 (A.D.1791, late Edo period)
Work at his 39 years old
Hacho (Edge length) : 51.8㎝
Sori (Curvature) : approx.0.7㎝
Moto-haba (Width at Ha-machi) : approx.3.39㎝
Saki-haba (Width at Kissaki) : approx. 2.85cm
Kasane (Thickenss) : approx. 0.7㎝
Gold foil double double Habaki
Wooden case (Shirasaya)
Tokubetsu-Hozon
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尾崎源五右衛門助隆は宝暦三年(注①)播磨国の生まれ。大坂の黒田鷹諶門で鍛冶を学び、業成って寛政十年に長門守を受領している。修業中の安永八年二十七歳の時(注②)に出版された鎌田魚妙の『新刀辨疑』において津田助廣が「希有の上手」と絶賛され、その巻四に助廣の濤瀾乱の刀絵図が載せられ、「旭瀾と号し濤瀾龜文之模範と為す」とあったことから、これを天啓に助隆は濤瀾乱を終生の目標に掲げたのであった。
この脇差は、元先の身幅が極めて広く重ね厚く、反りを控えて中鋒延びごころの剛毅な姿。狭めの鎬地を細かな柾に、広い平地を詰み澄んだ小板目に錬り鍛えた地鉄は、細かな地景が蠢いて緻密に肌起ち、地沸が微塵に付いて鉄色は晴れやか。短い焼き出しから始まる濤瀾風大互の目乱の刃文は、互の目が二つ三つと連れて起伏がつき、焼頭に小丁子が複合されて波頭が高く起つ大海原を想わせ、所々に配された玉状の飛焼も波飛沫。焼刃は、純白の小沸が深く厚く付いて匂口明るく冴え、刃中に沸足が溶け込むように入り、充満した微細な沸の粒子が昂然と輝き、生気凛々として刃文構成の狙いが大自然にあることは明確。帽子は焼深く浅く乱れ込み、僅かに掃き掛けて小丸に返る。茎は保存状態優れ、化粧鑢の付けられた筋違鑢が丁寧に掛けられ、助廣に倣った独特の草書体風の銘字が鑚強く鮮やかに刻され、裏年紀も助廣と同じく表銘より一字上から切り始められている。不惑を目前にした助隆の心血が注がれた優脇差である。
注①…『古今鍛冶備考巻四』に「文化乙丑の年五十三歳」とある。水心子正秀とは三歳違いでほぼ同世代。
注②…助隆の幼年期から青年期、平賀源内がエレキテルや石綿等の新技術を探求し、本居宣長が『古事記』を研究するなど、偉大な学術成果が遺された。