竹生島図鐔
銘 山城圀伏見住金家

山城国伏見 桃山時代
鉄地拳形高彫象嵌打返耳
縦八二・四㍉ 横七七㍉ 切羽台厚さ二㍉

 

竹生島図鐔 銘 山城圀伏見住金家

竹生島図鐔 銘 山城圀伏見住金家

 金家(かねいえ)は、禅に題を得た図柄や、達磨、李白など歴史的な人物を鐔に彫り描いたが、同じ鐔面に金家が生きた時代の京都周辺の風景を採り入れているものがある。主題も、歴史や伝説といった時の彼方のものばかりではなく、飛脚図や曳舟図のように、より身近な出来事への興味をも示していると思われ、同時代の装剣小道具の製作者の中においては歴史を研究する上でも興味深い作品を遺した識者で、特異な存在と言えるであろう。
この鐔は、京にほど近い近江国琵琶湖が舞台とされた謡曲『竹生島(ちくぶじま)』を主題とした作。『竹生島』は室町時代初期の金春禅竹(ぜんちく)作と伝えられ、明るく軽快な内容が好まれて演じられたという。
琵琶湖に浮かぶ竹生島は、湖底から天上をめがけて無数の石柱が突き出すかのように形成されている奇妙な地形が特徴の小島である。地質学的には柱状節理の明瞭な花崗岩で、垂直に切り立つ島の周囲は人の立ち入るを拒んでいるかのようにも感じられ、近隣の漁民はこれに神を感じとり恐れていた。竹生島宝厳寺縁起によれば、奈良時代の行基以来多くの僧が修行を行ったことにより苦行修練の聖地とされたという。それが故に女人禁制の島とみられたのであろう。また、琵琶湖ではこの竹生島の辺りが最も深いという点、竹生島近隣の湖底から縄文時代や弥生時代の土器が、漁の網によって引き上げられていることも多くの伝説が生み出される要因であった。
とある、うららかな春のこと。天皇の命を受けた都人が竹生島の弁財天に詣でるため漁村を訪れ、小舟で漁にはげんでいる年老いた漁夫と若い海女(あま)に出会った。これ幸いと、都人は竹生島への渡舟を漁夫に頼む。琵琶湖は柔らかな光に包まれ、鮮やかな緑と桜色に彩られている。湖面も明るく波も静か。その水面には朝靄が起って陽の光を一層や穏やかにしている。世に伝えられる霊場とはかけ離れた優しさと明るさに満ち溢れている。その中を、都人が乗った舟が竹生島へと漕ぎ出された。
舟が次第に竹生島へと近づく。島の木々の隙間に修験のための洞窟が見え、都人は竹生島が霊場であることを改めて知ることとなる。それが故、舟が島に着いたとき、共に乗り込んだ海女が島に降り立ち、弁天宮へと歩みを進める様子に都人は驚きを隠せなかった。ここは女人禁制の島ではなかったのか。すると漁夫は、この海女こそ弁財天の化身であると述べ、しかも自らは琵琶湖に棲む龍神であることを明かす。言い終わった漁夫はたちまち龍に姿を変えると身体をくねらせ、島をゆったり巡り湖中へと潜んでいくのであった。
龍神と弁財天の伝承は他の地域でも知られている。竹生島と共に我が国の三大弁財天に数えられている厳島弁財天と江ノ島弁財天にも龍神伝説がある。また、琵琶湖の龍神が俵藤太秀郷による三上山の大百足退治伝説にも登場しているように、琵琶湖の龍神伝説は根が深く広がっているようだ。
さてその後、都人が社人から弁財天の由来を聞き宝蔵を拝んでいると、いつの間にか陽が陰り、東の山の端に月が姿を現す。と共に、辺りに軽やかな音楽が漂い来る。その中にきらびやかな天衣を纏った弁財天が姿を現し、次第に暮れてゆく大空へと舞い上がる。都人はその光景から目を離すことができず、ただ手を合わせるのみであった。
どれほど時が流れたのであろう、ふと気づくと辺りは夜の闇に包まれている。月の光は一層強くなり島の木々を照らし出している。その光を背景にいつまでも弁財天が舞い踊っている。永遠に続くかのような至福の時間。遠く湖面を見やれば、さざ波に満月が映っている。月に棲むと伝える兎も月と一緒に琵琶湖に降りてきたのであろうか、水面を跳びはねているように見える…。
金家の作品には月が多く採り入れられている。金家にとっての月はどのような意味を備えていたのであろうか。例えば、最も多く月を題に詠んだ歌人西行にとっての月は、自己であったり、恋する女性であったりと、自らの心を浮かび上がらせるための素材。一方金家が彫り描いた月は、寒山指月や猿猴捕月など禅の趣旨を暗示している。また京都近郊の風景図では、もの想いの夕暮れという刻限を示す月。さてここでの月は。金家はこの鐔を製作するにあたり、琵琶湖の畔で夜空に輝く月を眺め、湖面を走る兎を確かに見たのであろう。
古甲冑師鐔のように鍛えの頗る良い鉄地は、叩き締めた鎚の痕跡が明瞭に残されて景色となっている。この鍛え肌も拳形とも呼ばれる独特の形状と共に金家の特質。さらに、打ち返された耳が抑揚変化し、鐔という画面を無限の空域へと連続させている。表は琵琶湖畔で左手網(さであみ)を肩に小鮎漁に向かう海女姿の弁財天。謡曲『竹生島』では老漁師と海女が主題とされているが、金家は実際に取材した海女一人を、遠く眺める山並みを背景として印象深く彫り描いている。足元は砂浜に寄せる波であろう、微かな毛彫表現。一方裏面は夜の湖面。謡曲『竹生島』よりイメージした、月に輝く湖面を跳躍する兎。いずれも鍛着部が判らないほどに精巧な共(とも)鉄(がね)象嵌(ぞうがん)。僅かに銀象嵌を加えている。
金家が見たのは、そして彫り描いた月は、伝説と現実が交わる夢玄への入口に他ならない。

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