銘 肥前國住人伊豫掾源宗次(初代)
寛永四年八月吉日

Katana
Hizen no kuni junin Iyo no jo
Minamoto no MUNETSUGU (The founder)
Kan'ei 4 nen 8 gatsu kichijitsu


肥前国 寛永 三百九十六年前

刃長 二尺二寸六分強
反り 六分六厘
元幅 九分九厘
先幅 七分
棟重ね 一分九厘
鎬重ね 二分一厘
彫刻 表裏 棒樋・添樋

上蓋金色絵下蓋銀着二重ハバキ 白鞘付

茶潤塗鞘打刀拵入
拵全長 三尺三寸
柄長 八寸強

昭和三十六年長崎県登録

特別保存刀剣鑑定書  

Hizen province
Kan'ei era (A.D.1624-1643, early Edo period)
396 years ago

Hacho (Edge length) 68.5㎝
Sori (Curvature) approx.2㎝
Moto-haba (Width at Ha-machi) approx.3㎝
Saki-haba(Width at Kissaki) approx.2.12㎝
Kasane (Thickenss) approx. 0.64㎝
Engraving: "Bo-hi" and "Soe-hi" on the both sides

Gold iroe and Silver foil double Habaki / Shirasaya

Cha urumi nuri saya, uchigatana koshirae
Whole length: approx. 100cm
Hilt length: approx. 24.3cm

Tokubetsu-hozon certificate by NBTHK

 伊豫掾宗次初代は慶長から寛永に活躍した肥前の刀工。関ケ原の戦、大坂の陣の記憶が未だ残る江戸初期には、槍一筋を頼りに世を渡る武士や才覚一つで莫大な財を成した商人が躍動している。そのような時代を生きた伊豫掾宗次の代表作が「家光将軍洛中賜五千貫目以銀那波宗旦求伊豫掾源宗次作是」の添銘のある寛永十一年七月吉日紀の剛刀(注①)。京の町に莫大な銀を下賜した家光の剛胆と、これを記念するべく鍛刀させた京町衆那波宗旦、そしてそれに応えた伊豫掾宗次の迸る熱情を伝えている。
 表題の刀は寛永十一年七月の刀の七年前の作。身幅重ね尋常で反り高く中鋒がやや延びた、おおらかで力強い姿。板目鍛えの地鉄は、肌目を強調するように地景が入って活力が漲り、地沸が厚く付いて鉄色が明るい。互の目乱の刃文は、丁子、尖りごころの刃、矢筈風の刃を交えて高低広狭に変化し、沸が厚く付いて刃縁の光が強く、沸付いて一段と明るい刃中に入った太い足を遮って元から先まで細かな金線と砂流しが幾重にも掛かる。帽子は激しく乱れ込み金線を伴って掃き掛け、殆ど焼詰めとなる。初代宗次らしい先が浅く括れた独特の茎に、伊の尹、源の原、宗、次の銘字が曲線となる特色も顕著。煌めく沸の美に満ち、肥前國忠吉とは全く異なる放胆な魅力に満ちた優刀である。
 楓図揃金具で堅牢さを高めた、茶潤塗鞘打刀拵が附帯している。

注① …『日本刀大鑑新刀篇二』所載。

注② …那波宗旦は京二条新町通に居住した豪商 (三浦俊明「那波一族と姫路藩城下町の 町衆那波家系図の考察を中心として」『人 文論究』四十号)

刀 銘 肥前國住人伊豫掾源宗次(初代) 寛永四年八月吉日刀 銘 肥前國住人伊豫掾源宗次(初代) 寛永四年八月吉日刀 銘 肥前國住人伊豫掾源宗次(初代) 寛永四年八月吉日白鞘

茶潤塗鞘打刀拵 刀 銘 肥前國住人伊豫掾源宗次(初代) 寛永四年八月吉日茶潤塗鞘打刀拵 刀 銘 肥前國住人伊豫掾源宗次(初代) 寛永四年八月吉日

刀 銘 肥前國住人伊豫掾源宗次(初代) 寛永四年八月吉日 差表切先刀 銘 肥前國住人伊豫掾源宗次(初代) 寛永四年八月吉日 差表中央刀 銘 肥前國住人伊豫掾源宗次(初代) 寛永四年八月吉日 差表ハバキ上

刀 銘 肥前國住人伊豫掾源宗次(初代) 寛永四年八月吉日 差裏切先刀 銘 肥前國住人伊豫掾源宗次(初代) 寛永四年八月吉日 中央刀 銘 肥前國住人伊豫掾源宗次(初代) 寛永四年八月吉日 差裏ハバキ上

刀 銘 肥前國住人伊豫掾源宗次(初代) 寛永四年八月吉日ハバキ


 

宗次押形