銘 水府住勝村徳勝作之
蹇々匪躬之故

應幕府臣曽雅定光需
文久三季八月日

常陸国 文久  百六十年前 五十五歳作

刃長 二尺七寸三分強(82.8cm)
反り 二分
元幅 一寸二分
先幅 七分九厘
棟重ね 三分四厘
鎬重ね 三分五厘
金着二重ハバキ 白鞘入

昭和三十年東京都登録

 

刀 銘 水府住勝村徳勝作之 蹇々匪躬之故應幕府臣曽雅定光需文久三季八月日

 

刀 銘 水府住勝村徳勝作之 蹇々匪躬之故應幕府臣曽雅定光需文久三季八月日
 白鞘

刀 銘 水府住勝村徳勝作之 蹇々匪躬之故應幕府臣曽雅定光需文久三季八月日 差表切先刀 銘 水府住勝村徳勝作之 蹇々匪躬之故應幕府臣曽雅定光需文久三季八月日差表中央刀 銘 水府住勝村徳勝作之 蹇々匪躬之故應幕府臣曽雅定光需文久三季八月日差表中央刀 銘 水府住勝村徳勝作之 蹇々匪躬之故應幕府臣曽雅定光需文久三季八月日差裏ハバキ上

刀 銘 水府住勝村徳勝作之 蹇々匪躬之故應幕府臣曽雅定光需文久三季八月日 差裏切先刀 銘 水府住勝村徳勝作之 蹇々匪躬之故應幕府臣曽雅定光需文久三季八月日
差裏中央刀 銘 水府住勝村徳勝作之 蹇々匪躬之故應幕府臣曽雅定光需文久三季八月日差裏中央刀 銘 水府住勝村徳勝作之 蹇々匪躬之故應幕府臣曽雅定光需文久三季八月日差裏ハバキ上

 

 勝村徳勝(のりかつ)は文化六年水戸の生まれ。関内徳宗に師事して鍛刀技術を修め、水戸藩工となる。徳川斉昭(烈公)を藩主とする水戸藩は尊王攘夷を宗とし、欧米列強の脅威に対抗するべく武力充実を図った。刀に圧倒的な切れ味と頑健さを求めた徳勝は、柾目鍛えの刀(注①)を打ち、鹿角や堅木を切る荒試(あらだめし)を自作に課して強度を確認している。徳勝の評判は藩外にも轟き、他藩士からの注文もあったことが弟子で養子となった正勝の『御刀手控帳』より明らかである。
 表題の刀は、五月に長州藩が下関を通過する外国船を砲撃するなど尊王攘夷の嵐の吹き荒れた文久三年の、徳勝としては珍しい幕臣からの注文で精鍛された、刃長二尺七寸を超える剛刀。元身幅が広く重ねも極めて厚く、反り浅く中鋒に造り込まれて手持ちが頗る重く(注②)、茎も一尺二分と長く、激しい打ち合いでも柄が抜けぬよう、茎先に控え目釘穴が穿たれている。大和古伝を改良した柾目鍛えの地鉄は密に詰み、地沸が微塵に付いて処々湯走りが掛かり、淡い沸映りが立って晴々とした鉄色を呈している。刃文は互の目に丁子、尖りごころの刃、角がかった刃、浅い湾れを交え、銀砂のような沸で刃縁が明るく、太い足が入り、細かな金線と砂流しが層を成し、刃中も匂で澄んで刃味の鋭さを感じさせる。帽子は金線を伴って激しく掃き掛けて浅く返る。焼刃がやや低く、刃区上で焼き落としとされているのは、強烈な打ち込みによる衝撃にも折れない配慮であろう。茎に刻されている「蹇々匪躬之故(けんけんひきゅうのゆえ)」の六字は、中国の古典『易経』の「王臣蹇々、匪躬之故(臣下が自分の心身を苦しめて君のためにつくす」に拠るもので、注文主である旗本曽雅(我)定光の、粉骨砕身の決意をも滲ませている。大作ながら地刃に一切の緩みがなく、懸命に鎚を振るった徳勝の技術と篤実を伝えている。

注①…柾目を配するのは烈公の教えによるものという(関山豊正『水戸の刀匠』)。

注②…刀身の重さは約一・五キロである。

勝村徳勝押形


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