脇差
銘 吉次(鞍馬関)
(良業物)

Wakizashi
YOSHITSUGU(Kurama-zeki)
(Yoki Wazamono)


山城国 明応頃 約五百二十五年前

刃長 一尺九寸
反り 六分二厘
元幅 九分四厘
先幅 六分
棟重ね 一分六厘
鎬重ね 二分五厘
彫刻 表 草倶利迦羅 裏 梵字重ね彫

金着一重ハバキ 白鞘入

平成二十二年東京都登録

特別保存刀剣鑑定書(鞍馬関)

Yamashiro province
Meio era (A.D.1492-1500, mid Muromachi period)
About 525 years ago

Hacho (Edge length) 57.6㎝
Sori (Curvature) approx.1.88㎝
Moto-haba (Width at Ha-machi) approx.2.85㎝
Saki-haba(Width at Kissaki) approx.1.82㎝
Kasane (Thickenss) approx. 0.76㎝
Engraving: "So-no-Kurikara" on the right face
"2 Bonji (Acala and Akshobhya)" kasane-bori on the back face

Gold foil single Habaki / Shirasaya

Tokubetsu-hozon certificate by NBTHK
(Kurama-zeki)

 吉次には鞍馬(注①)住と銘した明応八年の脇差があり、時代と居住地が明らかになっている。『古今鍛冶備考』には、吉次の本国が関であることから鞍馬関と称すと、京信國と相州秋廣に師事し帰郷と記されている。これは吉次に尖刃や矢筈風の刃を交えて飛焼を伴う皆焼(ひたつら)風の作があり、また相州彫に見紛う剣巻龍の彫もある故であろう。その一方で、作風を平安城長吉一派の「三條吉則に似る」とする意見(藤代版『日本刀工辞典』)もあり、吉の銘字が「𠮷」となって長吉や吉則に近似することから、吉次は長吉や吉則と同じく京鍛冶で、一時、関や相州に駐鎚して帰京したとの見方(注②)も否定できない。
この刀は二尺を切る寸法ながら、鎬地の肉が削ぎ落されて鎬筋が張り、先反りが付いて中鋒の仕立てで、茎短く片手での操作に適した片手打ちの造り込み。腰元の、長吉同然の草の倶利迦羅彫は鑚が効いて美しく、諸悪を滅する不動明王と不惑の心を象徴する阿閦如来(あしゅくにょらい)の梵字が二つ重ね彫りされ、神仏の加護と武運長久を祈念する武士の想いは明らか。板目鍛えの地鉄は、地沸が厚く付き、地景が太く入って鉄色明るい。広直刃調の刃文は小互の目に小丁子を交え、匂口やや締まり、明るい刃中に小足、葉が入る。帽子は焼深く沸付いて小丸に返り、棟焼が掛かる。茎には二字銘が神妙に刻されている。剛刀を力任せに振った戦国末期の剣と異なり、鎧の間隙を突く操刀術を宗とした室町中期の武士好みの、精悍で出来優れた一刀である。

注①…牛若時代の義経が修業した鞍馬寺がある。

注②…『美濃刀大鑑』に「平安城一派の吉次が関に駐鎚して美濃伝を学で山城へ帰ったために鞍馬関と称されるようになったのではないか」とある。

脇差 銘 吉次(鞍馬関)(良業物)脇差 銘 吉次(鞍馬関)(良業物)脇差 銘 吉次(鞍馬関) 白鞘

 

脇差 銘 吉次(鞍馬関) 差表切先脇差 銘 吉次(鞍馬関) 差表中央脇差 銘 吉次(鞍馬関) 差表ハバキ上

脇差 銘 吉次(鞍馬関) 差裏切先脇差 銘 吉次(鞍馬関) 中央脇差 銘 吉次(鞍馬関) 差裏ハバキ上

 

脇差 銘 吉次(鞍馬関)ハバキ

吉次押形