太刀
銘 備州長舩賀光
長禄三年二月日
徳川将軍家伝来

備前国 長禄 約五百六十四年前
刃長 二尺三寸四分五厘(七一糎)
反り 六分
元幅 九分五厘 先幅 五分五厘
棟重ね 二分一厘 鎬重ね 二分四厘
徳川将軍家伝来
鞘書
「賀光御刀代金五枚。長弐尺参寸五分 元文二巳年五月廿八日御七夜御祝儀之時。
牧野民部少輔上。文恭院様御差料也」
「嘉永二酉年八月十四日御拵出来代金弐拾五枚ニ而 御差ニ相成候処、同四亥年二月廿二日御差外ニ相成
御大切御仕舞置可致旨、柴田肥前守申畢 百三拾六」

 

太刀 銘 備州長舩賀光 長禄三年二月日 徳川将軍家伝来

太刀 銘 備州長舩賀光 長禄三年二月日 徳川将軍家伝来 鞘書太刀 銘 備州長舩賀光 長禄三年二月日 徳川将軍家伝来 鞘書

太刀 銘 備州長舩賀光 長禄三年二月日 徳川将軍家伝来 刀身佩表切先太刀 銘 備州長舩賀光 長禄三年二月日 徳川将軍家伝来 刀身佩表 中央太刀 銘 備州長舩賀光 長禄三年二月日 徳川将軍家伝来 刀身佩表ハバキ上

太刀 銘 備州長舩賀光 長禄三年二月日 徳川将軍家伝来 刀身佩裏切先太刀 銘 備州長舩賀光 長禄三年二月日 徳川将軍家伝来 刀身佩裏中央太刀 銘 備州長舩賀光 長禄三年二月日 徳川将軍家伝来 刀身佩裏ハバキ上

太刀 銘 備州長舩賀光 長禄三年二月日 徳川将軍家伝来 ハバキ

 江戸時代、将軍と大名の主従関係は国家の秩序の要であり、その関係は将軍の代替わり、若君誕生、大名の家督継承等の際に再確認される。その際に献上された太刀や小脇差、短刀は、『徳川實紀』や『寛政重修諸家譜』に記録されている。
 表題の長舩賀光(よしみつ)の太刀もその一例。古鞘の近衛流書体の鞘書によれば、元文二年五月二十八日、八代将軍吉宗の嫡子家重の子竹千代(十代将軍家治)の御七夜の祝儀において越後国頸城、三嶋、刈羽、古志、魚沼五郡六万四千石の大名牧野忠周(ただちか)より献上された作で、『徳川實紀』同日条(注①)に「牧野民部少輔忠周は賀光の刀」とある現品。鞘書から、「文恭院樣(十一代将軍家斉)御差料」となり、さらに家斉からこの太刀を引き継いだ十二代将軍家慶が嘉永二年に拵を新規製作した事がわかり(注②)、代々の将軍が指料とした事を伝えて貴重である。
 慶事を寿ぐに相応しい「賀」の字を冠した長舩賀光は、応永頃を初代として天文まで続き、本作は名手長舩則光と同時代の、長禄の右衛門尉賀光の作。腰反り高く中鋒の美しい姿で、小板目に柾気を交えた地鉄は刃寄り深く澄み、地沸(じにえ)が厚く付き、刃区辺りから霞のような映りが立ち、地斑ごころの肌を交えて温潤味のある肌合い。直刃の刃文は淡雪のような小沸で刃縁が明るく、湯走り、金線、砂流しが微かに掛かり、刃中は匂で澄む。帽子は浅く弛み、掃き掛けて浅く返る。茎は錆色深く、賀光自身の手になる銘字(注③)も味わい深い。家康の再来と謳われ、享保の改革を指導した希代の名君吉宗の血を引く、三代に亘る将軍に大切にされた歴史的一振である。

注①…「有徳院殿御實紀」(『徳川実紀』第八篇)。

注②…家慶は嘉永四年小姓頭柴田肥前守に命じ、「百三拾六」と番号を付け、幕府の刀蔵に保管した。

注③…同じ銘形の寛正五年紀の刀が第二十回重要刀剣。図譜の説明文には、賀光の在銘確実な作は現存するものが比較的に少ないとある。

賀光押形


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