上杉家は足利尊氏の母の実家で、関東管領として足利氏を支え、天下静謐に勤めた名門。だが同族間の争い、北条氏等戦国武将の台頭で弱体化。嗣子のない上杉憲政は家臣長尾家の若き当主景虎(後の謙信)の将器に期待し、永禄四年に上杉の名跡と関東管領職、さらには伝家の宝刀を託したのである。「越後の虎」と恐れられた謙信は、毎月十六日の大般若会神事で青江守次の太刀(重文)を振るって穢れを祓い、出陣前には梵字に七曜星金象嵌のある剣(重文)を祀り軍神降下を祈願するなど刀を神聖視し、朝廷や将軍家より拝領の太刀や脇差、短刀の名品を所持した。それら謙信とその継嗣景勝遺愛の刀は代々の当主に継承され、他家に渡った刀も上杉家旧蔵の逸品として特別な意味を持ち、今に伝えられているのである。
表題の太刀は、鎌倉中期宝治頃の備前福岡一文字の名工吉房の作で『上杉家刀剣台帳』坤第弐号(注②)に記載のある上杉家伝来の一振。身幅広く重ね厚く、腰反り高く中鋒の威風堂々の体配。地鉄は板目肌に杢を交えて深く錬れ、鎬地にも板目が現れて古色蒼然とし、焼刃の影を想わせる黒(くろ)映(うつ)りは鎬地に及び、白く輝く沸との対比で鮮やかな乱映りとなり、吉房の独壇場ともいうべき仕上がり。焼の高い丁子乱の刃文は奔放にして自然味のある変化をみせ、銀砂のような沸が厚く付いて刃縁の光強く、金線、砂流しが掛かり、足が頻繁に射して葉も盛んに入り、物打付近は一段と強く沸付いて沸筋が流れ、明るい刃中には沸の粒子が充満する。帽子は焼を深く残し、掃き掛けて小丸に返る。茎に生じた錆はねっとりとしてこの太刀が経て来た歳月の長さを偲ばせ、伸びやかな鑚使いで刻された鮮明な二字銘も味わい深い。名手吉房の技量が遺憾なく発揮され、鎌倉武士の大丈夫ぶりを伝える貫禄の一振(注③)である。
上杉家の竹雀紋の、手の良い拵が付されている。
注①…『神奈川縣文化財圖鑑工藝篇』『国宝歴史名刀展図録』所載。
注②…「一、吉房刀 白鞘 銘吉房 長弐尺三寸五分」と記されている。
注③…特別重要刀剣図譜では「優れた出来映えを示し同工の真価を発揮し ている」と絶賛されている。
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