大磨上無銘
粟田口左兵衛尉國吉

山城国 鎌倉中期弘安頃
約七百四十年前
刃長 二尺二寸九分(六九・四糎)
反り 六分九厘
元幅 一寸七厘半
先幅 七分二厘半
棟重ね 二分三厘
鎬重ね 二分四厘強
彫刻 表裏 棒樋掻通し
田野邉探山師鞘書(注①)

 

刀 大磨上無銘 粟田口左兵衛尉國吉

刀 大磨上無銘 粟田口左兵衛尉國吉 白鞘

刀 大磨上無銘 粟田口左兵衛尉國吉 刀身差表切先刀 大磨上無銘 粟田口左兵衛尉國吉 刀身差表 中央刀 大磨上無銘 粟田口左兵衛尉國吉 刀身差表ハバキ上

刀 大磨上無銘 粟田口左兵衛尉國吉 刀身差裏切先刀 大磨上無銘 粟田口左兵衛尉國吉 刀身差裏中央刀 大磨上無銘 粟田口左兵衛尉國吉 刀身差裏ハバキ上

太刀 生ぶ茎無銘 古波平 ハバキ

粟田口國吉は、後鳥羽院の隠岐国での御番鍛冶の一人と伝える則國の子。左兵衛尉と称し、鎌倉中期弘安頃に活躍し、名物鳴狐の(注②)平造刀を始めとする逸品(注③)を手掛けた名手(注④)。國吉の刀工生涯中には弘安四年に、二度目の蒙古襲来があった。草原で鍛えられた馬術と毒矢を駆使し、火器を備えて攻め来たった元軍は強敵であった。だが御家人達は一回目の襲来での苦い経験を活かし、湾岸に石築地を設けて水際防衛の要とし、磨き抜かれた弓馬の技と勇気を以て元軍と戦い、見事に撃退したのであった。國吉は、未曽有の国難というべき元寇で、将軍家の御恩に応えんと体を張った御家人の需めに応え、異敵必滅の想いを込めた鎚を懸命に打ち振るい、入魂の雄刀を鍛え上げたものであろう。
 この刀は二尺八寸近い太刀を磨上げた作で、今尚身幅が頗る広く、しかも先幅もたっぷりとし、重ね厚く、刃肉やや控えめとされ、棒樋深く掻き通されて姿は慄然と引き締まり、反り高くついて中鋒の品格ある姿。地鉄は小板目肌深く錬れて詰み、肌を綴じ付けるように細かな地景(ちけい)が縦横に働き、微塵にしかも厚く付いた地沸(じにえ)が煌めいて、粟田口物らしい美麗なる梨子地肌(注⑤)となり、変化に富んだ濃密な沸映りが立ち、鉄冴える。刃文は中直刃、微かに小互の目を交え、純白の小沸で刃縁は明るく、細く長い金筋が躍動して生気凛々。刃に沿って入った段状の湯走りは、或いは銀砂の如く鮮明に、或いは地に溶け込むように淡くかかって二重刃風となり、粟田口物の特色が歴然。しかも盛んに入った小足は僅かに逆ごころとなり、宛ら、名物鳴狐を想起させ、刃中は清浄な匂が立ち込めて水色に澄む。帽子は直ぐに立ち上がり、僅かに弛んで小丸に返る。特色顕著でしかも出来頗る優れ(注⑥)、田野邉先生の「凛然タル中ニ優美サヲ俱ヘ格調頗髙焉」の御鞘書通りの傑作となっている。

注①…田野邉探山師鞘書「地刃粟田口物ノ美点ヲ顕現シ出来見事矣 就 中二重刃ヲ著シク表ス所ニ此工ノ手癖ヲ表示セリ 凛然タル中ニ 優美サヲ俱ヘ格調頗髙焉 可然珍重哉」

注②…鳴狐は刃長一尺七寸八分二厘の大平造の打刀。館林藩秋元家伝来。 重要文化財。東京国立博物館蔵。

注③…太刀三、金象嵌銘の太刀一、刀一、剣一、短刀一が重要文化財指定、 短刀三、剣三が重要美術品認定。

注④…藤代版『日本刀工辞典』では古刀最上作。

注⑤…田野邉道宏先生は『五ヵ伝の旅山城編』で、「美麗な肌合をみせ、 これを粟田口の梨子地肌と称します」と述べている。

注⑥…『特別重要刀剣等図譜』には「特色が顕現されており粟田口国吉 と鑑するのが至当」「地刃共に健体であることも好ましい」とある。

生ぶ茎無銘 古波平押形


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