刃長 二尺五寸七分四厘
反り 四分
元幅 一寸六厘
先幅 六分五厘
棟重ね 二分三厘
鎬重ね 二分四厘
素銅地一重ハバキ 白鞘入
皺革包鞘打刀拵付
昭和四十六年東京都登録
特別保存刀剣鑑定書(土佐)
Hacho (Edge length) 78㎝
Sori (Curvature) approx. 1.21㎝
Moto-haba (Width at Ha-machi) approx.3.21㎝
Saki-haba(Width at Kissaki) approx.1.97㎝
Kasane (Thickenss) approx. 0.73㎝
幕末維新期には興味深い切付銘入りの刀がある。例えば、慶應二年二月日、吉田清三郎清則の需で打たれた備前長舩祐包の刀に「於関奥羽大物切」の銘があり、戊辰戦争での奮戦ぶりが示されている(『銀座情報』百七十二号(注①))。表題の刀は、名工左行秀(注②)門の正宣(注③)の精鍛作で、土佐藩士川村輝明が本刀を帯びて奥州鎮撫隊に加わった事が切銘されている。板垣退助率いる土佐藩兵は東山道の要衝甲府城を制した後、奥州へ進み、棚倉城、磐城平城、三春城を接収。仙台藩が降伏すると会津へと兵を進め、激戦を展開した。川村輝明も隊の一員として異郷の地を転戦している。
二尺六寸にほど近い長寸を保つこの刀は、身幅も広くがっしりとした土佐のいごっそう好みの優れた出来。小板目鍛えの地鉄は無類に詰み、小粒の地沸が均一に付く。直刃調の刃文は小互の目、浅い湾れを交え、銀砂のような沸で刃縁が明るく、刃境には湯走りが掛かり、一部は二重刃、喰い違いごころとなり、沸匂で照度の高い刃中に小足と葉が無数に入る。帽子は乱れ込んで強く沸付き、突き上げごころに小丸に長めに返る。中程から先の鎬地と棟の稜線に十数か所の受傷があって実戦での使用は歴然。柄の中程を持って間合いを測り、鋒が届くまいと思っている敵に対し、柄めいっぱい長く握り直して打ち込み、勝負を決したのであろう。その一瞬のための厳しい修練が想起される。重火器が使用された明治維新でも、最後の接近戦では刀の威力が示されたことを証明している。
皺革包鞘の簡素な、当時の拵が附帯している。