オーケストラに指揮者が不可欠であるように、拵製作にも、全ての仕事に通じて注文主の希望を聞き、意匠や図柄の背景にある意味などを一つにまとめ上げる知識と教養、豊かな感性の持ち主が必要であった。
四君子を主題とする金具でまとめられた本作。頭は銀の菊花で包み込まれ、萼からわずかに伸びた茎を曲げて環としている。縁は梅樹を高彫とした金無垢地。金真砂を蛭巻状の蒔絵とした鞘は、長い年月を重ねて漆の透明感が増し、奥行き感が生まれている。銀地高彫に花弁のみ金色絵の鐺は、鞘尻を包み込んで上へと延びる春蘭で、先端が窄まった鞘の形に自然に馴染む、機能性を損なうことなく美を追求した装飾である。鐔は寶壽斎政景の四君子図。緻密に詰んだ鉄地を打ち返し耳に仕立て、深浅巧みな鏨で菊花、竹、梅、春蘭を華やかに展開。東龍斎派らしい都会的で洗練された作行である。吊り緒金具は銀製の松葉。頭、鐺、吊り緒金具は経年によって黒銀となり、渋い輝きを放つ。目貫は金無垢地の蓮に鷺である。松、梅、竹、蘭を四友、菊、梅、蓮、蘭を四愛とし、古くからの好画題である。では、蓮と鷺は何を意味するのであろうか。
突兵拵は江戸後期からみられる拵の形式で、ズボン姿で行う洋式訓練の実戦用として活用された。突兵という名称は先端の尖った兜、「突盔」が由来だという。柄頭の金具の形状が突盔兜を連想させたのだろう。堅牢を旨として作られた簡素なものが多いが、中には金具や鞘に凝りに凝った高級品もある。これは、元は下級武士の軽武装用だった胴丸が、その機能性と合理性によって高位の武将にも用いられ、更に改良と装飾を加えられたことと同様であろう。
突兵拵は特に庄内藩や薩摩藩に多く見られる。他国船の来襲に備え、砲台の構築や兵の訓練を行い、戊辰戦争後の幕府軍の中では他藩に先んじて銃火器などの近代装備を導入するなど尚武の気風が強かったのが庄内藩。『日本刀大鑑 刀装編』、『庄内金工名作集』に所載されている、酒井家伝来の縦刻鮫研出鞘という非常に手の込んだ細工の鞘に、内金工鷲田光中の鐔が掛けられた拵がよく知られている。
海外の事情に明るく、いち早く洋式の武器や軍隊に着目したのは薩摩藩である。昭和三年五月発行の『侯爵島津家蔵品入札目録』には、刃長五寸一分半の勝光が収められた、丸に十文字紋金無垢目貫の突兵合口短刀拵が記載されている。また、『薩摩の刀と鐔』には西郷南洲が逸見十郎太に与えた突兵拵の記載がある。鐔の耳には竹を廻らせ、竹図の縁と鐺は石黒政美の在銘。柄は麻紐を片手巻きにして漆をかけ、刻みを入れて皺皮のような仕上げとしている。華美ではないが美しい拵である。西郷にとって逸見は竹を思わせる人柄だったのであろうか。
本作の主題は四君子図金具と、蓮に鷺図目貫である。目貫は特に掛け巻とされて存在が際立つ。蓮も鷺も、泥中にあって泥に染まらず美しくある、高潔さの象徴である。中国において、蓮の音は連(ren)、鷺は路(ru)に通じ、「一路連可」、続けて科挙に合格する、転じて立身出世することの寓意である。この取り合わせは、宋の時代からある美術工芸品の好画題である。
周知の通り、科挙とは中国で千三百年間続いた官僚試験のこと。非常に狭き門で、合格に至るまで知力、体力、資力を要した。受験に年齢制限がないので中には一生受験生のままで終わってしまった者もいたという。だが、官僚になればその一族にも莫大な利益をもたらす。一人でも多くの合格者を出そうと家庭教師を探したり、塾を開いたりと一族を上げて心血を注いだという。余談だが、浅田次郎著『蒼穹の昴』には、物語の主要人物、梁文秀(科挙の試験で一等状元で合格した)の数日に渡る壮絶な受験シーンが描かれている。
幕末から明治初期の動乱の時代に、四君子に相応しい人物の、この上ない立身出世と幸運を願って製作された「一路連可」拵である。
銀座名刀ギャラリー館蔵品鑑賞ガイドは、小社が運営するギャラリーの収蔵品の中から毎月一点を選んでご紹介するコーナーです。
ここに掲出の作品は、ご希望により銀座情報ご愛読者の皆様方には直接手にとってご覧いただけます。ご希望の方はお気軽に鑑賞をお申し込み下さいませ。