刃長 八寸九分一厘
内反り僅少
元幅 七分二厘
重ね 一分八厘
金着一重ハバキ 白鞘付
腰刻朱変り塗鞘合口拵入
拵全長 一尺二寸三分
柄長 三寸三分
昭和二十七年東京都登録
特別保存刀剣鑑定書
Hacho (Edge length) 27㎝
A little curved goes to inner
Moto-haba (Width at Ha-machi) approx. 2.18㎝
Kasane (Thickenss) approx. 0.55㎝
Koshi kizami shu kawari nuri saya,
aikuchi koshirae
Whole length: approx. 37.3cm
Hilt length:approx.10cm
水心子正秀の高弟として遍く知られる名工大慶直胤は、旅を好んで諸国を訪れ、作品の茎に駐鎚地名を刻した。この短刀は信濃国での作。直胤は真田幸貫の招きで天保七年秋から松代城下に滞在し、「南無仏のこゑをたのみにはるばると善光寺に参るうれしさ」の歌を茎に刻した平造脇差等の名品を手掛けている。その後天保八年正月十五日に松代を出立し、二月中旬に到着した大坂では大塩平八郎の乱に遭遇している。その際、大坂の大混乱ぶりを親交のあった伊豆韮山代官江川英龍に書き送っている(注②)。
この短刀は相州行光を念頭に精鍛された作で、身幅尋常で重ね厚く、内反りが僅かに付いてふくらがやや枯れた、鎌倉後期の短刀を想わせる凛とした姿。小板目鍛えの地鉄は刃寄りに流れごころの肌を交え、鍛着面が詰んで鉄色晴々とし、細かな地景が入り、地沸が微塵に付いて淡く沸映りが立つ。直刃の刃文は、刃区下を焼き込んで相州古作を想わせ、新雪の如き沸で刃縁明るく、刃境に湯走り、打ちのけ、ほつれが掛かって処々二重刃となり、太い金線が躍動し、刃中は微細な沸で満たされて刃色冴える。帽子は細かな金線、砂流しを伴い、掃き掛けて小丸に返る。浅く反って振袖茎風となった茎の太鑚の銘字は、胤の最終画が虎の尾の如く撥ねて直胤の自由闊達な精神を感じさせる。相州上工の作意が見事に再現された優品である。
霊獣図目貫を設けた、ごく簡素な朱漆塗鞘とされた日常指しの拵が附帯している。