Hacho (Edge length) 26.3㎝
Sori (Curvature) approx. 0.21㎝
Moto-haba (Width at Ha-machi) approx. 2.54㎝
Kasane (Thickenss) approx. 0.54㎝
Engraving: "Suken" on the right face (Omote)
"Bonji" on the back face (Ura)
Shu urushi nuri saya, aikuchi tanto koshirae
koshirae length approx.42.4cm
hilt length approx.11.2cm
平安城吉房は室町中期の京都三条の住人。平安城長吉、吉則などの一族である(注①)。長吉に三河、吉則に和泉や越前での作があり、山城国内のみならず、地方の武将の要請で作刀したことも明らか(注②)。また、長吉の作中に村正の茎形に似た魚の鱮の腹を想わせる例が、吉房に村正門の正重と合作刀(注③)があること、そして村正一門に洗練味ある刀身彫刻があることが、両者の交流を物語っている。
この短刀は、刃先鋭く寸法がやや延びてわずかに反りの付いた鋭利な姿。しかも素剣と梵字の彫が美しく映えた作。鉄色の明るい地鉄は板目に杢を交えて肌目起ち、小粒の地沸が付いて淡く沸映りが立つ。浅い湾れに尖りごころの互の目、箱がかった刃を交えた刃文は表裏が揃い気味で、純白の小沸で刃縁明るく、小形の金線、砂流しが掛かり、小粒の沸が立ち込めて刃中も明るい。焼を深く残した帽子にも沸の粒子が充満して長めに返る。茎形は中程が張って先が細くなる辺りは村正の茎を想わせ、鑚当たりの強い銘字が平安城長吉に酷似。戦国期の都鄙の交流を伝える優品となっている。 桐紋金具で装われた、朱漆鞘の合口拵が付されている。注①…『日本刀工辞典』には「平安城長吉の一族、作風長吉のごとく、特に短刀が多い」とある。
注②…信國派や了戒派の刀工の中に九州へ移住し、筑紫信國、筑紫了戒が興っている。
注③…『日本刀工辞典』参照。