金粉銘 畠田守俊 伊達家(花押)

Katana
Kinpun-mei Hatakeda Moritoshi


備前国 鎌倉後期元応頃 約七百年前
刃長 二尺三寸(六九・七糎) 反り 五分
元幅 一寸二厘 先幅 六分五厘
棟重ね 二分強 鎬重ね 二分三厘強
彫刻 表裏 棒樋角留・連樋
九曜紋透彫金無垢二重H 白鞘入
伊達家伝来 杉山茂丸旧蔵(鞘書)
本間薫山博士鞘書
昭和五十三年東京都登録

重要刀剣

価格 5,000,000円(消費税込)

Bizen province
Kamakura perido Gen ou-era
(A.D.1319-1321, Late Kamakura period)
About 700 years ago

Hacho (Edge length) 69.7㎝
Sori (Curvature) approx. 1.51㎝
Moto-haba (Width at Ha-machi) approx.3.1㎝
Saki-haba(Width at Kissaki) approx.1.97cm
Kasane (Thickenss) approx. 0.7㎝
Engraving: "Bo-hi kakudome/tsurehi"

Solid gold double Habaki "Kuyomon family crest"

The sword that was introduced to the Date clan.

Calligraphy on the Shirasaya,
written by Mr.Sugiyama Shigemaru&Dr.Kunzan

JUYO

Price 5,000,000 JPY

 畠田守俊は、畠田派の初祖守家の子で正応頃に活躍した初代があり、また、二代守家の子で元応頃と伝える工(二代か)がある(注①)。畠田派は守家が長舩の隣に位置する畠田に居住したと伝えることからその呼称があるも、残されている守家の銘は「備前國長舩住…」とあることから、長舩鍛冶とは近しい鍛冶であったことが考えられている。守家の作風は、蛙子丁子(かわずこちょうじ)と呼ばれる頭の丸く括れたような華やかな刃文を特徴としているが、年代が降ると次第に刃文構成が穏やかになるのは鎌倉時代後期の流れであり、守俊の刃文も時代に応じた小模様の丁子出来を専らとしている(注②)。
この太刀は、伊達家に伝来し、後に天下の浪人と謳われた政治運動家杉山茂丸翁(注③)の蔵刀となった畠田守俊極めの一口。微塵に詰んだ板目鍛えの地鉄は所々に綺麗な杢肌を交えて全面が均質な地沸で覆われ、これに丁子状の映りが加わって平地に重層的な景色を展開。しっとりとして潤い感に満ちた地相は、守家に見られる肌起つ風から次第に細やかで清楚なそれへと進化しているもので、この傾向は長舩鍛冶においても然り、鎌倉時代後期の特徴を示している。刃文も同様に小模様な出入りの複雑な小丁子刃で、焼頭は小さいながらも蛙子状に丸みを帯び、その所々に焼頭から地中に煙り込むような働きが窺え、匂で明るい刃中にはわずかに逆がかった小足が盛んに射す。帽子は差表がごくわずかに湾れ込んで先小丸に、裏が端正な小丸に、いずれも先端がわずかに掃き掛けて浅く返る。匂口に柔らか味のある焼刃は明るく冴え冴えとし、刃先に現れた流れ肌に伴って繊細なほつれが刃縁を彩る。茎には杉山翁の手になる金粉銘が施され(注④)、翁の刀に対する知識、愛情の深さ、さらに伝来、刀格の高さを示している。

注①…『日本刀銘鑑』。
注②…守家初代の銘は大きく、二代の銘は小ぶりになる傾向がある。初 代守家の刃文構成は長舩初代光忠と似ており、両者は近しい関係 にあったと推考されている。二代守家は長舩長光と同時代で作風 も似ている。守俊が二代守家の子であれば、長光の子に当たる景光 とほぼ同時代の工で、いずれも次第に焼の低い刃文に移り変わっ ている。
注③…元治元年、福岡藩士の子として生まれた杉山茂丸は、長じて伊藤 博文、後に後藤新平に重く用いられた。刀の目利きでも知られ、 本阿弥淋雅や網屋と深く交わり、刀剣界の復興に力を尽した。

注④…杉山茂丸翁が兼光と極めて金粉銘を施した刀がある。第二十回重要刀剣。

刀 金粉銘 畠田守俊

刀刀 金粉銘 畠田守俊

畠田守俊 鎺

畠田守俊 押形