江戸後期 嘉永
百六十九年前
荒波に日輪前立
縦 145センチ
横 63センチ 
奥行 55センチ(展示の寸法)
鎧立・鎧櫃付

価格 六十万円(消費税込)

Details

Kuro urushi nuri tate-hagi 2-mai do gusoku
Tetsu sabi-ji 8-mai bari kabuto
Sig. NAGAMITSU saku
Kaei 6 nen Muzunoto Ushi 8 gatsu kichijitsu

Kaei 6 (A.D.1853, late Edo period)
169 years ago

height 145cm
Width 63cm
Dept 55cm
(Dimentions at display)

"Aranami ni Nichirin" maetate

This item has two accesories for display and strage. (Stand and Box)

Price 600,000JPY


 嘉永六年、浦賀に艦砲七十三門を誇る四隻の黒船が来航。さらに川崎沖まで進入し、威圧的な艦隊行動をとった後、翌年の再来航を予告して退去した。黒船来航を亡国の危機と捉えた往時の武士達は急速に国防意識を高めてゆく。
 この甲冑具足は、まさにその渦中の製作である。鉢は薄手の矧ぎ板八枚を後正中から前正中に向かって矧ぎ合わせ、下部を特徴的な腰巻板で補強している。腰巻板の形状は通常とは異なり、腰巻板の上部が外側に迫り出している(図参照)。この様式は加賀の雲海派の鉢に見られるが、鉄色が赤味を帯びて、鉢表面に共鉄になる切金を用いていないことから、製作は雲海派の影響を受けた加賀明珍派の作であろう。鍛えの頗る良い共鉄になる眉庇は切り込みが鋭く、頑強な三光鋲で打ち止められ、眉庇の切り込み部の空隙の補強として鉢裏には要害の板を備えている。吹き返しは黒漆に真鍮製の酢漿草(かたばみ)紋(片喰紋)を備えている。天頂部は古作に倣い、敢えて八幡座を設けず、加賀鉢の特徴とする真円の小さな天辺の穴を設けて矧ぎ合わせの技術の高さを誇示している。鉢裏には克明に製作年紀と作者銘が刻されている。
 胴は黒漆の施された二枚胴。鍛錬の良い八枚の鉄板を矧ぎ合わせて前後を紐で結束して二枚胴としている。真鍮金具を多用する加賀具足の掟通りに、左胸に家紋をあしらった采配の環を備え、前立は同じく真鍮製の荒波日輪図としている。
草摺は紺糸素懸五段に威した掛け外しで、脛当は掛け外しの草摺と共に多く用いられる実戦様式の家地を備えない篠脛当となっている。
 黒船来航の情報は早くから『阿蘭陀風説書』などを通じて我が国にもたらされていたが、一般の武士が武術や武具の備えに気を使い始めるのは黒船来航後一定期間を経てからである(講武所の設立は二年後の安政二年)。平時より武器武具の備えを怠らない武士が注文した作であろう、その志の高さに尊崇の念すら覚える。


黒漆塗縦矧二枚胴具足

黒漆塗縦矧二枚胴具足

黒漆塗縦矧二枚胴具足

黒漆塗縦矧二枚胴具足

鉄錆地八枚張兜 銘 永光作

鉄錆地八枚張兜 銘 永光作

黒漆塗縦矧二枚胴具足