織田信長公傳来
大根透図鐔 無銘

天正頃
鉄地丸形地透毛彫角耳小肉
縦 111mm 横 113.1mm 切羽台厚さ 4.7mm
箱書(表)「信長公傳来 大根鐔」
箱書(内)
「秋山白蕡(久作)翁云 時代天正
 尾張根抜鐔 清左衛門作
 久作先生の曰く本田(多)忠勝公之
 うんよきよやの大鐔と伯仲の珍品なりと
  申されたり」

織田信長公傳来 大根透図鐔 無銘

織田信長公傳来 大根透図鐔 無銘

織田信長公傳来 大根透図鐔 無銘 箱書

織田信長公傳来 大根透図鐔 無銘 箱書

 

「美」という文字の成り立ちは、大きな羊の二文字で構成された会意文字、又は大人の羊を上から見た象形文字だという。諸説あるが、「大きなものは善いもの」、「神にささげる最上のもの」という意識があったことに違いはない。
 それにしても大きな鐔である。直径は十一センチを超えているが、どれほど長大な刀に装着されたのであろうか。神仏への奉納という事も考えられる。今に残されている幾つかの織田信長の肖像画から、腰刀、腰刀と短刀、分銅形の唐鐔を付けた太刀拵を身に付けていることが確認できる。若い頃は奇抜な出で立ちと奇矯な振舞いで傾奇者と呼ばれ、織田家を継いで日本国をほぼ手中にしてからも、甲冑や陣羽織など身に着ける物に殊更のこだわりを見せた信長であればこそ、このような大鐔に興味を示したのであろう。
大鐔を装着するような大太刀が実戦に用いられたのは南北朝時代から室町時代である。もっとも余程の力自慢でなければ、威嚇にはなるが、操作を誤れば敵に遅れをとることになる。
箱書きによれば、この鐔が製作されたのは天正時代。「姉川合戦図屏風(注①)」には、大きな菊花透鐔を装着した大太刀を振るって戦う朝倉義景の家臣真柄十郎左衛門直隆が描かれている。真柄直隆は豪刀を振り回して織田、徳川軍を戦慄させたという。その所持と伝えられる七尺三寸を超える末青江の太刀と、五尺五寸を超える千代鶴國安の太刀が熱田神宮に、六尺を超える行光の太刀が白山比咩神社に奉納されている。この大鐔がそのような豪刀に装着されていたかもしれないと考えるとワクワクする。妄想は古美術愛好の醍醐味である。とはいえ、行光の身幅が五糎あることを考えると茎穴が少々小さいのかもしれないが。因みに上杉家伝来東京国立博物館所蔵の兼光は刃長三尺で身幅三・四五センチである。 また、箱書きには、本作が本多忠勝所持の文字透鐔(注②)と伯仲の珍品也ともある。『朝倉始末記』によれば忠勝は姉川合戦で真柄十郎左衛門と戦っている。「すくんうきよやいまわ満つまるこツ可う」という謎の文字が透かされた忠勝所持と伝えられる鐔は直径およそ十四センチ。厚みはないが本作を凌ぐ大鐔である。
箱書きにはさらに「尾張根抜鐔」の記載がある。「根抜」とは最古、最上の焼物、道具類などのことを指す語である。こと唐津焼においては底抜けに古いという意味で、「根抜けの唐津」といえば一番古い手の唐津という事になる。「尾張根抜鐔」とは最も時代の上がる尾張鐔の意味であろう(注③)。 極めて大振りであるが、決して大味ではない。叩き締められた鍛えの良い地鉄の全面が、古甲冑師鐔に見られる古調な鎚の痕跡で石目地様の肌合いとされており、カランと乾いた響音も時代のもの。大根透という図柄も面白い。厚手の耳から切羽台に向かってごく僅かに肉を落とし、中心に据えた葉付き大根のシルエットを垂直に透かし残している。大根は途中で曲がるとそのままぐるりと耳になり、先端のヒゲ根がまた元の大根に繋がる大胆な意匠である。彫口は明確で冴え、写実的に毛彫された葉脈が鎚目による抑揚の付いた地と相俟って瑞々しい質感を伝えている。
「何故大根?」という疑問が浮かぶが、実は装剣小道具にはまま見る画題である。春の七草にも数えられ、清白の異名を持つ大根は白く清らかな姿で、消化を助け、体を健やかに保つ薬効でも知られていた。また、大根は大聖歓喜天(聖天様)と縁が深い。聖天様は、元々はヒンドゥー教のガネーシャ神といわれ、仏法を擁護し、衆生に利益を施して諸事の願いを成就させる善神である。その像は左手に大根、右手に斧のような法具を持っている(象頭人身のガネーシャ神は片方の牙が折れていて大根はその牙の象徴とも言われている)。 小さなものを更に小さく細密に作り上げるのは正に神業だが、刀にしろ鐔にしろ並外れて大きなものを破綻無く作り上げるというのもまた困難なことである。
箱書に記された清左エ門について特定することは出来なかったが、尾張国は室町後期に鉄打出しの桶側胴が尾張具足として人気を博した地である。尾張から美濃にかけては鉄の産地でもあり、刀工だけでなく甲冑鍛冶も多く発生した。軍用の需要が高まり、信長が清洲城下に諸職人を集めたこともあり、特別な求めに応じて優秀な甲冑工の手になる類稀な大鐔が作られた可能性は十分考えられる。本作も下地は明珎派の甲冑工の手になるものであろうか。一枚の鐔を廻って推論の旅はまだまだ続き、興味は尽きることがない。
 箱の底に、当時の所持者の住所と名前が墨書されている。

注①…福井県立歴史博物館蔵。

注②…個蔵人。加島進著『日本の鐔』参照。

注③…信長が茶の湯で、家来達に一枚の鐔を示し、これが根抜鐔というものだと説明したという説がある。

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