脇差
銘 (菊紋)山城守藤原國清
鍛南蠻鐵釼之
(業物)

Wakizashi
(Kiku-mon) Yamashiro no kami Fujiwara no KUNIKIYO
Nanban-gane wo kitae kore wo tsukuru
(Wazamono)


越前国 寛永頃 約三百八十年前

刃長 一尺七寸五分五厘
反り 三分
元幅 一寸一分一厘
先幅 九分六厘
重ね 二分四厘
彫刻
表 薙刀樋に倶利迦羅浮彫
裏 薙刀樋に護摩箸浮彫

上蓋桐紋透彫金無垢二重ハバキ 白鞘入(注①)

昭和四十三年石川県登録

重要刀剣

Echizen province
Kan'ei era(A.D.1624-1643, early Edo period)
About 380 years ago

Hacho (Edge length) 53.2㎝
Sori (Curvature) approx. 0.91㎝
Moto-haba (Width at Ha-machi) approx. 3.36㎝
Saki-haba(Width at Kissaki) approx.2.91㎝
Kasane (Thickenss) approx. 0.73㎝
Engraving: "Naginata-hi ni Kurikara" on the right face (Omote)
"Naginata-hi ni Goma-bashi" on the back face (Ura)

"Kiri-mon" engraving, pure gold double Habaki
Shirasaya (nested style)

JUYO 

Price 3,600,000 JPY

 山城守國清初代は堀川國廣の門人。越前松平家三代忠昌に仕え、百五十石で遇され、福居城下浜町に居住した。彼の最高傑作は剣巻龍と火炎不動の彫のある寛永二十一年紀の乱出来の刀(注②)(重美)。家康より葵紋を許された康継に対し、勅許の菊紋を茎に刻した名工國清。その悩みは跡継ぎ。嫡子吉左衛門は病弱で鍛冶職を勤め得ず、二人の孫の内、吉五郎は小姓として松平家に仕え、吉左衛門は未だ幼少であった。そこで娘の子新兵衛に目をかけて厳しく指導。見事期待に応えた新兵衛の自立を見届けた國清は、寛文五年に冥界へと旅立ったのであった。
 この脇差は寛永末年の作で、國清初代が國宗と銘していた孫新兵衛を向鎚に精鍛した一振。身幅重ね極めて広く、鋒大きく、寸も延び、刃区に生ぶ刃が残された健全体配。腰元の薙刀樋の中に刻された龍は、鋭い爪で剣を掴み、剣を呑み込まんとする憤怒の表情が真に迫り、屹然と立った鎬筋、棟の稜線、樋際の線と共に刃の線と軌を一にした凛然たる美姿。地鉄は小板目肌が細かに起ち、地景太く入り、初霜の如き小粒の地沸が厚く付いて鉄色晴々と明るい。刃文は浅い湾れに互の目を交え、新雪のような沸が深く付いて刃縁明るく冴え、飛焼、刃境に湯走り掛かり、焼の谷には足が入り、細かな金線、砂流しが掛かり、刃中匂で霞立つ。帽子は浅く湾れて小丸に返る。茎の保存状態は完璧で、太鑚で強く刻された銘字は鑚枕が立ち菊紋が鮮明。初代が最も得意とした奔放な乱刃が冴えた、同作脇差中の傑作である。

注①…大切に伝えられ、白鞘は入れ子式である。

注②…『日本刀大鑑 新刀篇二』参照。

脇差 銘 (菊紋)山城守藤原國清 鍛南蠻鐵釼之脇差 銘 (菊紋)山城守藤原國清 鍛南蠻鐵釼之脇差 銘 (菊紋)山城守藤原國清 鍛南蠻鐵釼之 白鞘

 

脇差 銘 (菊紋)山城守藤原國清 鍛南蠻鐵釼之 差表切先脇差 銘 (菊紋)山城守藤原國清 鍛南蠻鐵釼之 差表中央脇差 銘 (菊紋)山城守藤原國清 鍛南蠻鐵釼之 ハバキ上

脇差 銘 (菊紋)山城守藤原國清 鍛南蠻鐵釼之 差裏切先脇差 銘 (菊紋)山城守藤原國清 鍛南蠻鐵釼之 差裏切先 中央脇差 銘 (菊紋)山城守藤原國清 鍛南蠻鐵釼之 差裏切先 刀身差表 ハバキ上

脇差 銘 (菊紋)山城守藤原國清 鍛南蠻鐵釼之 ハバキ

 

助廣押形