刃長 一尺一寸五分一厘
反り 二分六厘
元幅 一寸二厘
重ね 一分九厘
彫刻 表裏 二筋樋掻流し
金着一重ハバキ 白鞘入
佐藤寒山博士鞘書「佐竹家伝来之一也(注①)」
昭和四十二年東京都登録
特別保存刀剣鑑定書
Gold foil single Habaki
Calligraphy on the Shirasaya
written by Dr. Sato Kanzan
"Satake-ke denrai no hitotsu nari"
(One of collections, which was handed down to the Satake family)
義廣は天文十一年二月吉日紀の「嶋田義廣作」と銘した平造脇差(『日本刀工辞典』)のある、駿河の今川義元に仕えた嶋田義助の一門である。
表題の脇差は、今川、武田、北条三者同盟の翌年天文二十四年(弘治と改元)の作。棟を真に造り、幅広で重ねと刃肉が薄く先反りが付き、二筋の細樋が掻かれて鋭利な造り込み。板目鍛えの地鉄は、刃寄り柾がかって肌目起ち、地景が太く入り、地沸厚く付いて白く映りが立ち、一様ならざる地肌の変化は迫力がある。浅く湾れた直刃調の刃文は先へ行って焼幅を広め、銀砂のような沸で刃縁明るく、刃境に湯走り、細かな金線、砂流しが絡み、刃中には沸筋が流れ、小模様ながら複雑に変化。帽子は焼深く、横に展開して棟際から突き上げ、金線、砂流しを伴って激しく掃き掛けて返る。茎は、中程が張って先がやや細い舟底形で、目釘穴の下から細く絞られて村正にも紛れるタナゴ腹形となり、太鑚の銘字は大永、天文頃の義助の銘字に似ている(注②)。戦陣の武将の腰刀であろう。秋田佐竹家(注③)に伝来し、戦国武将の覇気を伝えている。