平造脇差
銘 義廣作
天文廿四年十二月日

Hira-zukuri wakizashi
YOSHIHIRO saku
Tenbun 24 nen 12 gatsujitsu


駿河国 天文 四百六十六年前

刃長 一尺一寸五分一厘
反り 二分六厘
元幅 一寸二厘
重ね 一分九厘
彫刻 表裏 二筋樋掻流し

金着一重ハバキ 白鞘入

佐藤寒山博士鞘書「佐竹家伝来之一也(注①)」

昭和四十二年東京都登録
特別保存刀剣鑑定書

Suruga province
Tenbun 24
(A.D.1555, late Muromachi period)
466 years ago

Hacho (Edge length) 34.9㎝
Sori (Curvature) approx. 0.79㎝
Moto-haba (Width at Ha-machi) approx. 3.09㎝
Kasane (Thickenss) approx. 0.58㎝
Engraving: "Futa-suji-hi" kaki-nagashi
on the both sides

Gold foil single Habaki
Calligraphy on the Shirasaya
written by Dr. Sato Kanzan
"Satake-ke denrai no hitotsu nari"
(One of collections, which was handed down to the Satake family)

Tokubetsu-hozon certificate by NBTHK

  義廣は天文十一年二月吉日紀の「嶋田義廣作」と銘した平造脇差(『日本刀工辞典』)のある、駿河の今川義元に仕えた嶋田義助の一門である。
表題の脇差は、今川、武田、北条三者同盟の翌年天文二十四年(弘治と改元)の作。棟を真に造り、幅広で重ねと刃肉が薄く先反りが付き、二筋の細樋が掻かれて鋭利な造り込み。板目鍛えの地鉄は、刃寄り柾がかって肌目起ち、地景が太く入り、地沸厚く付いて白く映りが立ち、一様ならざる地肌の変化は迫力がある。浅く湾れた直刃調の刃文は先へ行って焼幅を広め、銀砂のような沸で刃縁明るく、刃境に湯走り、細かな金線、砂流しが絡み、刃中には沸筋が流れ、小模様ながら複雑に変化。帽子は焼深く、横に展開して棟際から突き上げ、金線、砂流しを伴って激しく掃き掛けて返る。茎は、中程が張って先がやや細い舟底形で、目釘穴の下から細く絞られて村正にも紛れるタナゴ腹形となり、太鑚の銘字は大永、天文頃の義助の銘字に似ている(注②)。戦陣の武将の腰刀であろう。秋田佐竹家(注③)に伝来し、戦国武将の覇気を伝えている。

注①…「羽州秋田藩主佐竹家伝来之一也 駿州島田同人 好資料之一」と記されている。

注②…「義」が全体に縦長で、天文の「文」「年」は」丸みのある書体で、天文二年八月日紀の義助の短刀(『駿遠豆三州刀工乃研究』所載)の銘字に酷似。

注③…常陸を領した佐竹義宣は関ケ原合戦で、西軍として家康を背後から威圧。戦後秋田に転じた。

平造脇差 銘 義廣作 天文廿四年十月日平造脇差 銘 義廣作 天文廿四年十月日

佐藤寒山博士鞘書「佐竹家伝来之一也」 平造脇差 銘 義廣作 天文廿四年十月日佐藤寒山博士鞘書「平造脇差 銘 義廣作...」

 

平造脇差 銘 義廣作 天文廿四年十月日 差表切先平造脇差 銘 義廣作 天文廿四年十月日 ハバキ上

平造脇差 銘 義廣作 天文廿四年十月日 差裏切先平造脇差 銘 義廣作 天文廿四年十月日 差裏ハバキ上

 

平造脇差 銘 義廣作 天文廿四年十月日 ハバキ

 

義廣押形