穂長 九寸一分
元幅 九分五厘
ふくら幅 一寸一分七厘
重ね 三分九厘
彫刻 打樋朱漆塗
白鞘付
朱叩塗鞘付(注①)
平成30年愛知県登録
特別保存刀剣鑑定書
越後守藤原来金道は江戸前期の山城国京の刀工で、伊賀守金道の次弟和泉守来金道の子。慶長五年十二月二十七日に没した(注②)父の跡を継ぎ、越後守を受領。遺作は極めて稀有ながら幅広で鋒の大きく延びた頑健な姿で、ゆったりとした力強い湾れ刃の刀(注③)があり、自身の腕のみを恃みに生きた江戸初期の武士の気質に応えた刀を今に伝えている(注④)。
この槍は越後守来金道の現存珍しい作で、塩首短く、腰元の身幅広く先細く鋭利で、中央の鎬筋が屹然と立ち、笹の葉を想わせる形状から笹穂槍(注⑤)と称される一筋。差裏中央に大きく掻かれた打樋に魔除けの朱漆が施され、刺突と截断の両用に威力を発揮し得る恐るべき姿。地鉄は小板目肌、刃寄り微かに柾を交えて緻密に錬れて詰み、小粒の地沸厚く付いて鉄色明るく、関映り鮮明に立つ。刃文は浅い湾れに小互の目を交え、小沸ついて刃縁に光強く、ほつれ、喰違を交えて金線・砂流し盛んにかかり、美濃出身らしい活発な働きが現れ、刃中も匂で澄む。帽子は焼深く、浅く乱れ込んで僅かに返る。茎の保存状態は良好で、丸みのある、和泉守来金道初代に似た銘字が入念に刻されている。出来頗る優れ、伊賀守金道、丹波守吉道、越中守正俊ら名手に比しても全く遜色のない出来栄えである。