昭和二十八年山口県登録
特別保存刀剣鑑定書
近江大掾忠吉は肥前佐賀藩主鍋島氏に仕えた肥前忠吉家の正系四代目で、源助、後に新三郎と称し、寛文八年の生まれ。貞享三年に父陸奥守忠吉が没した時には弱冠十九歳であったため、祖父近江大掾忠廣の下で引き続き鍛刀を修業。元禄十三年三十三歳の時に祖父と同じく近江大掾を受領。以後、名実共に忠吉家の当主として、延享四年九月に八十歳で他界するまで父祖直伝の槌を存分に振るい、優品の数々を遺している。
この脇差は元先の身幅極めて広く、反り中庸にバランス良く、しかも区深く残されて健全体躯を保つ量感のある姿格好。地鉄は小板目肌が良く錬れて詰み澄み、細かな地景が縦横に働き、地底から地沸が滾々と湧き上がって地肌がしっとりと潤い、肥前刀特有の上質の小糠肌となる。中直刃の刃文は、小沸が付いて匂口締まりごころにきっぱりと冴え、小足無数に入り、刃中は匂充満して霞立つように澄みわたる。帽子はふくらに沿って端整に小丸に返る。茎は細かな切鑢で丁寧に仕立てられ、鑚の効いた銘字が入念に切り認められている。父祖以来の肥前刀の魅力が存分に発揮された、出来優れた一振となっている。