平成十五年三重県登録
不安定な馬上で重い火縄銃を扱うのはまさに至難の業である。手綱から手を放して的を射る武術に流鏑馬があるが、火縄銃と弓では重量に大きな違いがあり、実戦での馬上筒の使用にはかなりの制約があったと推定される。戦上手で知られる伊達政宗は馬上から火縄銃を発砲させ、生じた黒煙に紛れて騎馬隊を敵陣に突撃させたという(常山紀談)。馬上筒は、敵を打ち倒すのではなく、騎馬武者の突撃を援護する目的から使用されたのであろう。本作は堺の鉄砲鍛冶で、自ら口が不自由であることを刻した唖鍛冶(注)七郎兵衛の鍛えた馬上筒。八角の銃身上に三ツ柏紋を据えて、先端には八角柑子を備える。松竹梅鶴亀、猪に飛び乗る仁田四郎忠常と菊花や武者を描いた真鍮の飾り金具が特に華やかである。