平成七年東京都登録
保存刀剣鑑定書
江戸前期の寛文頃に、奥州伊達家の仙台青葉城下で活躍した永重の脇差。永重は名を田代卯太郎という。初代は美濃国清宣門で、慶長頃に伊達家の領国に来住した久右衛門長俊(注①)。永重はその四代孫で、承応頃に摂津守を受領し、菊紋を許され、茎に一文字を刻した。因みに塩釜神社には、寛文四年七月十日に一族の重則、重清を向鎚に製作した太刀が奉納されている(注②)。
この脇差は山城大掾國包を見るような柾目鍛えの冴えた優品。身幅広く両区深く、鎬筋が張って中鋒の寛文新刀体配。地鉄は柾目肌が詰み、肌目に沿って地景が入り、流れるように地面を覆う小粒の地沸は白砂を想わせ、力強くも清浄な様相。柾目肌は鎬地から棟に抜け、一見、大和保昌を想わせる。浅い湾れに互の目を交えた刃文は、刃縁が小沸で明るく、随所に喰い違いを配し、刃境には柾目に感応した無数の筋状の湯走り、金線、砂流しが幾重にも層をなして激しく変化し、刃中も沸付いて明るい。帽子は焼を充分に残して沸付き、激しく掃き掛け、焼詰めごころに浅く返る。先細く栗尻の茎は國包に酷似し、鑚当たりの強い二字銘が刻されている。
附されているのは、黒石目地に桜花文が陰蒔絵された鞘と、精巧で細密な平象嵌の確かな彫技が光る仙台金工作の金具を装飾の重点に置いた、瀟洒な風合いの漂う拵。目貫と小柄は愛らしい鳩人形図。縁頭は朧銀地に金の平象嵌で春の植物と鳥の採り合わせ。飛翔する様子に動きがあり生命感の溢れる図柄とされている。鐔は花見図。裏面に描かれた階段を登り、鳥居をくぐると満開の桜の樹があり、編笠を上げて見入る武士と、侍女を連れた若く美しい女性が朧銀磨地に高肉彫と平象嵌で活写され、江戸人の美意識と細やかな年年歳歳の営みを垣間見るようである。