平成十四年静岡県登録
特別保存刀剣鑑定書
戦国時代、折れず曲がらず良く切れるの、日本刀に求められた性能の通りに美濃の作刀は進化を遂げ、多くの美濃鍛冶がその技術を請われて各地に移住している。陸奥守大道(むつのかみだいどう)はその美濃を活躍の場とした一人で、元銘は兼道。永禄十二年春に自作の剣を正親町天皇に献上し、左衛門尉任官と陸奥守受領を許され、大の字を賜ったという(『金鉄集(注①)』)。信長に仕えた美濃の氏房(注②)(若狭守)も永禄十三年四月十九日に御剣二振を帝に献上して左衛門尉となり(『御湯殿上日記』)、「奉 濃州関住左衛門尉藤原氏房」と銘した同年同月日の刀がある(注③)。陸奥守大道も若狭守氏房と共に信長の為に作刀しており、時代の先を見据える戦国武将の強い支援を得ていたものである。
この刀は、棟を真に造り、身幅広く重ねが厚く、先幅もたっぷりとし、輪反り高く先反りも加わって鋒が大きく延び、深く掻かれた棒樋で手持ちの優れた戦国武将好みの剛刀。流れごころの肌を交えた小板目鍛えの地鉄は、一粒一粒が煌めく地沸が厚く付いて地底に地景が蠢き、関映りが立つ。刃文は浅い湾れに小互の目を交え、小沸が付いて匂口やや沈み、微かにほつれ、金線、砂流しが掛かり、匂で霞立つ刃中に小足が無数に入る。焼の深い帽子は沸付き、小模様に乱れ込んで浅く返り、浅い棟焼が掛かる。僅かに区が送られた茎は錆色美しく、神妙に刻された銘字も鮮明。出来の頗る優れた一振で、一騎当千の武将が一命を託するに相応しい戦国の雄刀である。